2025年3月25日に東京地裁が統一教会への解散命令を出しました。宗教法人法第81条には解散の要件として「法令に違反して著しく公共の福祉を害すると明らかに認められる行為をしたこと」が挙げられています。東京地裁によれば、これまで統一教会の行なってきた献金勧誘等行為がそれに該当するといいます。いわゆるコンプライアンス宣言の前にも後にも深刻な金銭トラブルがあり、少なくともあわせて1500人以上、金額にして計185億円以上の被害が出ている。この事実をもって解散に値するということでした。

統一教会の二世のひとりとして、私は怒りに震えました。なぜなら、東京地裁が統一教会という社会問題をあまりにも表面的にしか理解していないことは明白であり、そのために見過ごされてしまう別種の問題があるからです。その問題とは、人権問題です。とりわけ統一教会の二世が人生をかけて被ってきた人権侵害の問題です。それが公共の福祉を害する不法行為のひとつとしてすこしも考慮されていないのです。

統一教会には二種類の二世がいます。信者たちの組織的な生殖行為によって生みだされた祝福二世と、生後に入信させられた信仰二世です。赤旗の報じる統一教会の認識によれば、祝福二世は約五万人、信仰二世は約三万人いるとされています。これは下駄をはかせた数でしょうが、それでもあわせて数万に及ぶのは確かなことのように思われます。すくなくともそれくらいの数の子供たちが、ひとりひとり異なる形で、人生を損なわれてきました。苦痛のあまりにも命を絶った子供たちも、おそらく私たちが想像しているよりもずっと多くいます。そういう深刻な命の問題がこれまでずっと蔑ろにされてきたし、解散命令に際してもなお蔑ろにされています。

人権侵害とは何でしょうか。ひとことでいえば、それは人を人間扱いしないということ、人を人として尊重しないということです。近代的な理念においては、私たちひとりひとりが自然人として基本的人権を持っているとされています。また、立憲国家とされる日本ではそれが憲法によって保障されるということになっています。建前としては、日本は近代化したということになっています。それが建前にすぎないことを、私は身をもって知っています。

私は合同結婚式によって生まれたときから、人の子ではなく、神の子の扱いを受けてきました。神の血を引いた特別な子です。もちろん、それゆえに神の子として大切にされてきた、ということではありません。むしろその反対に、神の子だからこそ、人間ではないからこそ、どんな虐待も許されてきたのです。虐待というのは、身体的な被害にとどまりません。児童虐待防止法に定められてもいるように、著しい心理的外傷を与える言動も含まれます。そしてなにより、人を人としてみなさないということ、人をモノ扱いするということが、それ自体で虐待であり、人権侵害です。

たとえば、私は特別な神の血統を守るという理由によって、婚姻の自由や交際の自由を侵害されてきました。この世の人間は不浄とされ、同じ神の子としか結婚してはならないということになっていたのです。これは自由権の侵害ということになりますが、平等権を侵すものでもあります。平等権というのは、性別や生まれ、血筋などに関わりなく、すべての人が等しい扱いを受ける権利のこと、すなわち差別を受けない権利のことです(憲法14条)。児童を神の血を引いた子として遇することは、天皇制や部落差別のような血統差別と同様の人権侵害です。

また、人は単に平等に扱われるだけでは、人らしく存在することはできません。たとえば、他の人と同様に等しく管理のためのマイナンバーを割り振られただけでは人らしい扱いを受けたとは言えません。人はなにより、その人として、かけがえのない個として、尊重されなければなりません(憲法13条)。これを人格権と言います。人格はさまざまなものを基礎にしていますが、そこには氏名や宗教も含まれます。そのため、人に信じるべき宗教を強いること、名乗るべき氏名を強いることは、人格的利益を侵すことになります。しかし、統一教会は祝福二世の名付け親となって神の子としての名を与え、人格の根幹の部分から組織に組みこもうとしてきたのでした。

日本国の司法の世界では、このような組織的な人権侵害は存在しないことにされています。これは宗教二世として氏名変更の申立をした私自身の経験からも言えることです。統一教会の不法行為によって生じたこれらの被害は「個人的感情」の問題として切り捨てられました。

そこであらためて疑問が沸きます。憲法によって保障されているとされる「公共の福祉」とは、いったい何なのでしょうか。確かなことは、近代において、それは国家という巨大な権力、すなわちオオヤケ=大きな家にとっての利益であってはならない、ということです。憲法はそもそも、国家権力から、ひとりひとりの人間の人間らしさを守るためにあります。それを機能させるのが三権分立という考え方でもありました。しかし、司法も含め、そのどれもが憲法を蔑ろにしようとする。今回の判決もそのような現状を裏付けるものになったと思います。

人を人らしく扱わない。その点において、統一教会と日本国は瓜二つです。だからこそ、こんなにも長期にわたって両者が癒着してこられたのでした。統一教会を解散させることで悪魔祓いをしたいという思惑が透けて見えますが、まずなにより解散すべきなのは、この日本という国なのではないでしょうか。