全国の若者よ、無職になろう

そんな煽り文句がふと思いうかんだ。いつものようにコタツのなかでみかんを頬張りながら漫然とツイッターをながめていたときのことだった。

「オーストラリアにワーホリで来てから4年3ヶ月目。ついに2000万円貯まりました」というつぶやきがまず目にとまったのだった。

この手の話は特に円安のはじまった2021年以降、様々なところでささやかれるようになってきている気がする。たとえば、2023年の2月には「安いニッポンから海外出稼ぎへ——稼げる国を目指す若者たち」というNHKクローズアップ現代の番組が放映された。日本での安定した職を捨てた若者たちがワーキングホリデーを利用してオーストラリア、カナダ、ニュージーランドなどにわたり、農業や介護に従事しているということだった。

ちょうど同世代のネパール人やベトナム人で、そういった国に渡る切符に恵まれなかった人たちが、ハズレクジとしての日本に流れついてしまい、まさに農業や介護の現場で奴隷的な扱いを受けているのを考えてると、なんともふしぎな気持ちになる。ある意味、出稼ぎ市場のパイを(少数とはいえ)日本人の若者に奪われた結果、日本にしか来られなくなった人たちだとも言えるのかもしれない。人権意識はともに同じくらい低いので労働をさせやすいが、従順さという点ではまだ日本人のほうに分があるということなのかもしれない。

そんなことを考えながら番組を観ていたとき、経済学者の渡辺努さんが興味深い発言をした。日本人の若者の出稼ぎは「労働市場に対する、若者たちの静かなストライキ」であるのだという。アメリカやヨーロッパでは生活を守るために当然のようになされているストライキが、なぜか日本ではなされない。そのため二十年以上賃金も上がらない。そんな日本に若者が見切りをつけているのではないか、と。

渡辺努さんはそんな指摘をした上で、静かなストライキがもたらす正の効果に期待している。「日本の労働市場の労働力が足りなくなっていくので、労働市場が引き締まっていくという点では賃金が上がっていくということも起きる」という。

現状としては、労働力不足のつけをいわゆる外国人労働者が知らずしらず支払わされている。彼らには、すくなくともいまはまだ、連帯してストライキをできるような状況にない。日本国憲法によって人権が保証されているわけでもないから、国に送り返すぞ、と脅されれば、それ以上何もできなくなってしまう。ブローカーの甘言につられて日本に辿りついてしまうこのような不幸な若者たちの姿が消えたときにこそ、渡辺努さんのいうような賃上げの期待もできるかもしれない。

しかし、それと同時に、僕はこうも思うのだ。ワーキングホリデーのほかにも、もっと簡単に、しかも日本国民であればだれでも「静かなストライキ」に参加する方法がある。

生活保護である。あるいは、ナマポともいう。

ちまたでは、4000万円ほどの貯蓄があれば、いわゆるFIRE(Financial Independence, Retire Early)ができると言われている。それだけの資産があれば不労所得によって年間150万円ほどを得られる(そしてその枠内の生活をする)と仮定した場合の話である。

もちろん現実問題、だれしもがそんなFIREな夢を見られるような経済状況にあるわけではない。よほど恵まれていないかぎりは、4000万円という額を貯蓄をするのには多くの時間を要する。あくせく働いて4000万円が貯まるころには、定年を間近に控えていてもおかしくないのだろう。

それならいっそ……と僕のようなプーは考えてしまう。生活保護でFIREをすればいいのでは? 4000万円を資産運用した場合と同等の額が毎月もらえる。そしてなにより、仮にワーキングプアとされる層の人たちが一斉にいわゆるナマポ族になったとすれば、結果的にそれだけで戦後最大の静かなストライキが行われる、ということになる。もっとはっきりいえば「静かな革命」である。そして、日本国民であれば、いますぐに実行できる。

いや、いますぐ、というのは正確ではない。というのも、現状の仕組みでは、一定の資産がある者は生活保護を受給できないことになっている。そして、まさにそのことが生活保護の受給者数を著しく限定するとともに、生活保護受給者=貧乏人(さもなくば、怠け者の穀潰し)という差別意識の醸成にも一役買っているのだろう。

そのため、多くの人は、普通に働くことを選ぶことになる。毎月14万円ほどもらえる権利があるにもかかわらず、毎月搾取されながら14万円分の給料をやっとの思いで手にして、大した貯蓄もできずにいる人たちもいる。

働かなければ生きていけない、という強迫観念も根強い。そしてそういったことがすべて、搾取の構造の強化に加担している。ゼネストも革命も起こらない。自殺者数も減らない。経済がいたずらに内側から摩耗してゆくなかで、格差が広がってゆく。そのしわ寄せをだれよりも受けているのは、憲法によって守られた日本人ではなく、運悪く日本で暮らしはじめてしまった外国人である。そして僕には、そんな状況への想像力や感性がこの社会には著しく欠けているように思えてならない。

そこで、あらためて問いたい。この「日本社会」とは、いったい何なのだろう。

 

社会人という日本語が凝縮する闇

私たちは普段からさして意識することなく「社会人」というきわめて奇妙というほかない言葉を使っている。あるいは「社会に出る」というような表現。よくよく考えてみると、おかしな言い方である。英語などにも翻訳できない。そもそも「社会」とは何か? これは本当に英語でいうところの「society」なのだろうか。

たしかに「社会」という語は「society」という語を翻訳するために19世紀末に生みだされた。ここではさらに「会社」という言い方もまた「society」の訳として使われていたということを思いおこしてみてもいい。

というのも、まさに日本においては「社会」と「会社」という二つの異なる概念が、現代においてもあまりにも密接に重なりあうことがある。社会のために生きるということが、会社のために生きるということとしばし同一されてしまう。これは公共性を支える「公」、つまり「おおやけ=大きな家」の概念に関しても言えることなのだろうけれど、近現代の日本の知の枠組みにおいては、社会や会社というものがとかく「家」のようなものとして理解されてしまうのだ。さらには「国」でさえ「国家」として理解されている。

きっとこのような発想の枠組みのなかに置かれているものの一つが「社会人」であるのだろう。すくなくとも現代の日本においては「社会人」という一人前の存在として認められるためには、会社などに勤めていなければならないとしばしば考えられているようだ。たとえば、生活保護の受給者が社会人と呼ばれることはあまりないのではないだろうか。

しかし、ごく当たり前の話をすれば、社会というものは、本当は普段から私たちが想像する以上に、広い。会社の外にも社会はある。家のなかにも社会はある。どこにでも社会はある。そんな社会のなかでは日々さまざまな形の経済活動が行われている。だから稼ぎのある社会人でなければ社会に貢献できない、ということはない。あまりにも当たり前の話になるけれど、あらゆる人がその人なりの仕方で社会人である。そんな当たり前を「社会人」や「社会」という語の現代的な用法は覆い隠してしまっている。

ここで生活保護の話に戻れば、多くの人が生活保護を受給しない理由として、経済的な自由が制限されることのほかに、社会的な居場所がなくなることへのおそれも挙げられるのかもしれない。無職では何者でもなくなってしまう。社会的に孤立してしまう。そんな不安もよぎる。けれども、やはり、社会は思っているよりもずっと広いのではないか、と僕は思う。

生活保護を受ければ、さまざまな欠乏から自由でいられる。これは行動経済学者のダニエル・カーネマンという人が言っていることなのだけれど、金銭的、時間的な欠乏は、人を近視眼的にする。働かなければ生きていけないという強迫観念を抱えながら生きていると、それだけで生活に負荷がかかり、広い視野を持つことができなくなり、自分がはまりこんでいる穴から抜け出せなくなる。それが負のスパイラルを引き起こして悪化の一途をたどる。

いわゆるアテンション・エコノミーの全面化した現代において人は暇というものを持つことが難しくなった。「暇」という語が死後になりつつある気さえする。時間が経済的に最適化された世界はカーネマンのいう「余裕 slack」というものをどこまでも縮小させてしまう。そんななか、生活保護によっては必要以上の金銭を得ることはできないが、そのかわり「暇」を得ることができる。

その「暇」こそが本当はもっと広いはずの「社会」を発見する一助になるのではないだろうか。たとえば、時間的なゆとりができた分、地域の子供食堂で働いてみたり、移民の子供たちに日本語を教えてみたりすることができる。ある意味では、格差を拡大させつづける搾取の構造の歯車になって、終わりのない金稼ぎのゲームにあくせくするよりも、こちらのほうがずっと「社会的」であると言えるかもしれない。

ただ、生活保護を受給することで経済的な自由が制限されることは、多くの人の望むところではないだろう。また、一度生活保護を受けてしまうと、そこからなかなか抜け出しにくくなることも問題である。僕は今年の夏に現在のフランスでの仕事に区切りがつき、さしあたりは日本で路上生活者をすることになったので、そのことについて、いろいろなことを考えたり試したいと思っている。この記事はその覚書ということになります。

 

物騒な革命、静かな革命

万国の労働者よ、団結せよ、という有名な煽り文句がある。マルクスの『共産党宣言』(1848)によって知られるようなった言葉だ。Wikipediaによれば、初出はフローラ・トリスタンという女性フェミニストの『労働者連合』(1843)だという。気になったので、英語版に目を通してみた。しかし、それらしき煽り文句は見つからなかった。そのかわりに、エピグラフには「Workers, unite-unity gives strength」とあった。「労働者よ、団結せよ。団結は力なり」とでも訳せるだろうか。しかし、引用元が記されていない。そこでさらに仏語原文にあたってみると、問題のエピグラフのところに次の記載があった。

Ouvriers, vous êtes faibles et malheureux, parce que vous êtes divisés. - Unissez-vous. - L’UNION fait la force. (Proverbe)

労働者よ。きみたちはか弱くふしあわせである。それはたがいに分け隔てられているためだ。団結せよ。団結は力なり。(ことわざ)

ことわざ、とある。まぎらわしい書き方がされているけれど、ことわざであるのは「団結は力なり」の部分だけだろう。残りの部分は、著者がシャルル・フーリエのような先人から学んだ考え方であると思われる。団結が力になるという考え方自体は、ちょうど「分断して統治せよ divide et impera」という裏返しの考え方が古代ローマからあったように、はるか昔かあったはずだ。ただ、労働者(プロレタリアート)という団結の単位が生まれたのはさまざまな革命の起こった18世紀後半ということになるのだろう。

しかし、そんな労働者という言葉も、現代の日本ではさして使われなくなってしまった。もしいま仮にマルクスが「労働者の諸君!」と路上で呼びかけたとしても、きっとだれも足をとめて耳を傾けることはない。「そこの社畜!」とか「お前、ワーキングプアだろ」というような煽り文句のほうがまだ振りむく人が多いかもしれない。しかし、そこでさらに「団結しろ」と言われても困ってしまうだけであるのは目に見えている。いまから革命を起こすから、協力しろ? 陰謀論にでもかぶれているのか? ということになる。

現代では、人を扇動することが困難になった時代なのかもしれない。すくなくとも、目に見える形での革命、つまり「物騒な革命」を夢見ることは難しい。そういうものを真面目に信じているのは、カルトの信者くらいである。米国の福音派でも統一教会でもいいけれど、彼らはいつかどこかで世界が様変わりするところを夢想している。そして結果的にはそれが保守の思想につながるというねじれ現象も起きている。

日本にも55体制というものが現在進行形である。CIAのフロント組織である自民党の独裁体制である。何世紀にも渡る植民地主義の経験から帝国が学んだことは、武力による支配はかならず反発を招くというものだった。そして、現地の人間が団結をしてゼネストを起こすだけで、支配体制は崩壊する。1945年以降に日本を統治することになる米国もそのことが[よくわかっていた](https://www.javadc.org/java/docs/1942-09-14 Memo on Policy Towards Japan by Edwin O. Reischauer_P4_ay.pdf)から、人心の掌握をした上で、角の立たない形、つまりあくまで物騒ではない形で長期的に植民地の養分を吸いあげてゆくという戦略をとった。それが功を奏した結果こそが現代の日本の姿でもあるのだろう。

物騒な試みは、物騒な反発を招く。たとえば、市民による暴力革命の試みは、武力によって鎮圧されることになる。市民は武力の前に無力ではある。その一方で、市民の団結は権力者による支配に割りを食わせ、支配を諦めさせることができる。だから、権力者は市民が団結をしないように、ひそかな人心掌握の形を模索する。カエルを生きたまま茹でるのには、熱湯ではなくぬるま湯が要る。

本当は、そんなぬるま湯のなかでも、ゼネストさえ起きれば、いろいろなものが一瞬で様変わりをする。たとえば、日本には新卒採用という資本家にとって都合のいい仕組みのなかで、労働力の買いたたきが毎年行われている。まだ未熟な若者は自分が労働力の安売りをしていることにも気づかないまま一人前の「社会人」になろうとする。そういう現状を変えるためには、すべての新卒の学生が就職を諦めたらいい。そのかわりとして一斉に生活保護を受給すればいい。それをするだけで、20代という貴重な時期の叩き売りをせずに済む。

しかし、現実には、そのようなことが決して起こることはない。札束に叩かれただけで連帯はいとも簡単に切り崩されてしまう。みんな、お金がほしい。そしてまさにお金の前に跪拝してしまうことが、逆説的に、貧乏を招いてしまう。いわゆる囚人のジレンマである。

このような現状のなかで夢見ることができるのは、労働者の団結によるゼネストのような物々しい形の革命ではなく、静かな革命なのかもしれない、と僕は思う。ひとりぼっちの革命、と言いかえてもいい。ひとりで奮起して街頭で角を立てるようなことを叫ぶとかそういうことではなくて。ただ、ひとりでドロップアウトをして、ひとりで生きる。そのこと自体はとても簡単にできるので、実際、目に見えないひとりぼっちの革命はいまも路上のそこかしこで起きている。

あるいはいっそ、そのような革命を強いられている、と言うべきなのかもしれない。強いられたひとりぼっちの革命は、不幸な革命だ。だからきっと、革命をするにしても、人のぬくもりが要る。

 

コモン、コモナー、コモニングをめぐって、マルクスを読みなおす

マルクス主義研究者の斎藤幸平さんは「コモン」というものをキーワードのひとつにしてカール・マルクスの思想を読みなおしている。斎藤さんによれば、資本とはそれまで商品として扱われてこなかった公共財であるコモンを占有して商品化する運動なのだという。その典型として、かつて数度にわたってイギリスでおきた土地の囲いこみ(エンクロージャー)がある。資本家が利益追求の仮定で農民を土地から追い払い、その結果として都市に流入した農民がプロレタリアートになったのだとマルクスはいう。

このような囲いこみは現代においても至るところで起きている。たとえば、ツイッターというプラットフォーム。近頃はいろいろな機能が制限されるなどの劣化現象(英語ではEnshittificationという)が起きているけれど、これは収益拡大のために故意に——そしてできるだけ変化を悟られないようなゆっくりとした速度で——行われているものだ。資本家は本来はだれもが自由に使えていたものへのアクセスを制限することで、つまりはもともとそこにあったはずの「富」を損なうことによって、新たな「価値」を生み出す。有料プランに登録すれば、かくかくのことができるようになります、と。このようにして資本は持つ者と持たざる者との格差の拡大させながら世界を貧しくしてゆく。

だからこそコモンという共有材の回復が必要なのだと斎藤幸平さんはいう。ここでいうコモンは、単なる「もの(資材)」のことではない。「コモンとは自治である」という。このことは、コモンがコモンであるためにはコミュニティが必要である。あるいは、コモンとは人間同士の利害関係である、とも言えるかもしれない。だれかが自己や他者の利害のために声を挙げないかぎり、コモンは資本の運動に囲いこまれていってしまう。デヴィッド・ハーヴェイという人の言葉を借りれば、コモンは「コモニング commoning」というプロセスの中にのみあるものであると言うこともできるだろうか。

コモニングとはさまざまな利害や権利関係の調整のプロセスのことである。そして、そのようなプロセスへの参加者は「コモナー commoner」とも呼ばれているようだ。あまり日本語には訳しにくい言葉だけれど、しいて言えば「当事者」ということになるのかもしれない。

さて、私たちは日常のさまざまな場面でコモンをめぐるさまざまな利害関係の当事者=コモナーであらざるをえない。しかしそれと同時に、私たち自身がコモンそのものでもある。そして、私たちはしばしばそのことを忘れてしまう。

私たちは日々、労働力を売ってもいるし、時間を消費してもいる。そして会社のような営利団体の論理に染まった私たちはともすると、自分の労働力や時間が、自分のものであるかのように錯覚してしまう。近代法的にはもちろん、その錯覚には筋が通っている。私たちは自身のために自由に労働力や時間を使うことができる。しかし、そのような労働力や時間は、同時に他者のためのものでもある。ホリエモンのように資本主義の論理を内面化した者であれば、友人といっしょにお茶をすることでさえ自分の労働力や時間の切り売りのように感じることもあるかもしれない。しかし、これは単に筋の通った錯覚にすぎない。というのも、私たちの存在は避けがたい形で他者との利害関係のなかに置かれたコモンでもあらざるをえないからだ。自身の置かれたそのような状況にコモナー(当事者)として日々むきあわざるをえない。そこから目を背けることはできない。

このようなことは「私たち」という語の二重性の比喩を通して考えてみるとわかる。「私たち」という語は「あなたたち」との対立関係に置かれた排他的な私たちを指すことも「あなたたち」をも含んだ包摂的な私たちを指すこともできる。そこで、資本主義の論理に染まった私たちは、しばしば前者の「私たち」のために労働力や時間というコモンを使おうとする。典型的には「会社」のために。あるいは「日本国」のために。会社も日本国も基本的には自分たちの利益のみを追求して、そのためにコモンを囲いこもうとする。しかしそのような内輪空間の外にはとうぜん、もっと広い意味での「私たち」、つまり「社会」があり、私たちはつねに避けがたくそのような社会に身をおいて活動している。

私たちはコモンとして資本主義に囲いこまれているので、ともするとそのことを忘れてしまう。しかし、コモンの回復をめぐるこれまでの議論は、日々労働者として生きている私たちコモナーの身の処し方にもそのまま跳ね返ってくるのではないだろうか。

そこでまたいつもの結論に戻ってくる。生活保護を受けつつ「のら公務員」として「社会」のために働くのはどうか、と僕はここで考えてしまう。「のら仕事」である。これは「会社」や「国家」という視野狭窄の「私たち」の利益追求のためのものではない。そして、そのために格差を拡大に加担し、この社会を貧しくするためのものではない。そうではなく「私たち」の外側で「私たち」コモナーとしての誠実な関与を必要としている者たちのためにできることがあるのではないだろうか。