「二年前の真夏、デロスでロケハンをしていたときのことだ。廃墟にあふれる猛烈な日照りのなかで、崩れおちた大理石や倒れた柱のあいだをさまよっていた。おびえたトカゲが墓石の下に滑りこむのが見えた。みじめな蝉たちの間延びした鳴き声が、がらんとした景色にうらぶれた趣きをそえていた。すると、何かの軋むような乾いた音が聞こえてくる。まるで地響きのような音が。丘の方を見上げると古びたオリーヴの木があって、それがゆっくりと倒れてゆくところだった。丘の上のオリーヴの木。それがゆっくりと死のなかに沈みながら、地面に倒れてゆく。巨大で、孤独な木。この木の倒れたところに裂け目ができて、中から古代の彫刻が顔をのぞかせた。重みで首の折れたアポロン像の頭部だった。さらに歩きつづけ、ライオンや男根の像が立ちならんでいるのを通り過ぎると、やがて小さな聖所にたどり着いた。伝説によればそこがアポロンの生まれた場所だというところに。そこでポラロイドカメラをかまえてシャッターを切った。ところが滑りでてきた写真には、奇妙なことに何も写っていなかった。立ち位置を変えてもう一度試してみる。だが何も写っていない。まっさらなネガの写真。目がおかしくなってしまったみたいだった。何度写真を撮っても、どれも同じ空っぽの四角形。真暗闇だった。やがてこの風景を見捨てるように日が海に沈んでいった。自分も闇の中に沈んでゆくのだと思った」(『ユリシーズの瞳』)。
闇という字はうつくしい。よく見ると、門のなかに音が閉ざされている。まるで耳のなかの暗やみのように。内耳 1 にひらかれた迷宮がしじまに包まれている。まるでクリプタ2のように。暗号化された死者の記憶のように。耳の経験が、目の経験のなかに書きこまれている。双方の経験の間を取りもつこの沈黙、このイメージ、闇という象形文字は、迷宮の入り口、記憶の入り口のようでもあり、夢の世界につづく洞口のようでもある。それともこういってよければ、象形文字というものそれ自体が一つの夢なのだろうか。その夢はいつまでも謎めいたまま、どんな真理も教えてはくれないのだろうか。あるいは剥きだしのイメージとして、すでに自分自身をあますところなく呈示しているということ、それが一つの真理なのだろうか。ハイデガーにならって言えば、それは認識や言表の正しさ、見ることの正しさとしての真理、オルトテースを語るのか、それともそれ自体がすでに存在の隠れなさとしての真理、アレーテイアなのか。——要するに、それはコンスタティヴな真理なのか、パフォーマティヴな真理なのか。——こうした真理の二義性をプラトンは洞窟の譬喩のなかで語った。そして、アレーテイアの方は「イデアの軛の下」につながれて棄却され、「それ以来、見ること及び見方の正しさという意味での『真理』〔オルトテース〕を求める努力」が西洋の形而上学においてなされてきた、とハイデガーはいう。それは存在忘却なのだ、と。こうしてハイデガーはアレーテイアという「隠れなさ」unverborgenheit をめぐる存在の問いへとむかう(『真理の本質について』)。
しかしもともとこのギリシア語には、忘却(レーテ)の否定、「忘れないこと」の意味がある。隠されていないこと、つまりいまやヴェールをはがされて明白であること。そして忘れないこと。この二つにはやはりいくらかの違いがある。とりわけ、たとえ隠されていても忘れられないことがあるのだとすれば。たとえば、クリプト記憶 cryptomnesia のように。人は過去の体験を忘れていながら、まるで初めてのことであるかのように同じことを繰り返すことがある。晩年をむかえた作家が幼いころに読んで忘れるがままになっていた本と同じ内容のことを、ときには一語一句たがわず、それがまるで自分の新しい着想であるかのように書き記すことがある3。あるいは、記憶の古層にうもれた幼少期の体験を前世の出来事ととりちがえて語る人もいる。忘れていながら覚えていること。それがまるで他人事のように、この世界の出来事ではないもののように感じられたのだろうか。記憶はきっとそんなふうにしてこの世界の単一性を幽霊のように脅かす。
ここでは記憶の問題に賭け金がおかれている。イデア論と並んで有名な「想起説」の方を思い起こしてもいい。『メノン』のなかでプラトンはソクラテスにこう語らせている。「人間の魂は不死であり、 われわれは人間としてこの世に生まれてくる前に、 すでにあらゆるものを学んで知ってしまっている。 だから、われわれは自分が全然知らないことを学ぶわけではなく、 じつは、『学ぶ』とか『探求する』とか呼ばれているのは、 すでに獲得しながら忘れていた知識を想い起すこと anamnesis にほかならないのである。」古代ギリシアのころには輪廻転生が信じられていた。肉体が滅び、魂が黄泉の洞窟に行くと、レーテ、つまり忘却という名の川の水を飲まされ、前世の記憶を失ってしまう(この川は眠りの神、ヒュプノスの眠る洞窟を流れているという)。そしてまさに人は記憶喪失者として生まれかわる。だから、想い起こすのだ、忘れていた知識を、とプラトンが真理というものにかこつけて——まるであたらしい詐欺の手口のように、しかも腹話術師のようにソクラテスの口をとおして——言うことができたのだった。レーテはまた、忘却の女神の名でもあった。だとすれば、アレーテイアとはいわばこの女神を殺害する試みだったのだろうか。そうすれば、まるで夢から覚めたときのように、今まで忘れていたはずの思い出がすぐそばに満ちあふれていることに突然気づく、ということだったのだろうか。前世というものがもはや前世ではなくなるほどに。
なんであれ、ここでは記憶の問題に賭け金が置かれている。思い出すということ。忘れないということ。こうしたことを真理ではなくイメージをめぐる別種の問題としてとらえなおすことはできるだろうか。プラトンが『国家』のなかで述べたような洞窟と天上界との形而上学的なコントラストの中ではなく、淡い翳りの中でもなお思い出せるものや忘れられるものがあるのだとしたら、それをどのように語ることができるだろうか。たとえばしかし、無意識の潜在的な記憶、忘れていたようでどこかで忘れずにいたような記憶が意識の方へ再来してくるというような、そんな情報処理のありさまについて精神分析的に語るというのでもない。そうではなく、イメージという沈黙のなか、意識と無意識の二項対立が宙づりになるような目の経験のなかで、記憶というものの反義語について語ることはできるだろうか。
プラトンは、洞窟を出るように言ったのだった。幻影にみちた洞窟を抜けだし、太陽というもろもろを照らす唯一の光源に目を「向けかえる」ように言った。そして哲学者の務めとは、この向けかえという陶冶(パイデイア)によって洞窟にとどまっている人々を導きだすということだという。それ以来、哲学にはどこかしら盲目というものが付きまとうようになったのだとしたらどうだろう。まるで盲者にこそ見えるものがあるといったように。哲学はこうして転倒したのだろうか。それとも、こういってよければ、天上へと墜落したのだろうか4。プラトンのこの声が、プラトン自身の目を閉ざした。見えないものを見て、見えるものを見ないというこの向けかえ。それは目から口への移行でもある。プラトンのいう「イデア」はもともと「見られたもの」を意味していた。見る idein ということ。プラトンが潰したのは、その目だったかもしれない。いわば目ではなく口によって、つまり言葉によって見ることのできるもの。それがイデアであるとプラトンは考えた。イデアを想起するには、目を瞑らなければいけない。ここでは、一見は百聞に如かず5、というわけにもいかない。哲学はきっとこのときから声への愛 philophonia として、その終わりない口唇期に踏み出してゆくことになる。何ごとかを語れば語るほど哲学の口唇期は深まってゆく。いくたびも吃りながら。
それにしても、語りえないことについては沈黙すべきだろうか。たしかにその通り、と頷くこともできるかもしれない。しかし、だからといって、もちろん目まで閉じるべきではない。口ではなく目によって思考する可能性の残っているかぎり。たとえば象形文字の沈黙のなかでしか語れないことがあるように6。つまり、声(パロール)という単一性 linearity のなか、ニュース番組や映画といったひとつづきの運動のなかではなく、むしろ象形文字やニュースペーパー、マンガといった静かな平面の広がりのなかでしか理解されないもの、つまりデザインというものがあるように。このパノプティコン的な「視力」——あらゆるものをエクリチュールの表面に併置する夢のようなヒエログリフ性。正確にいえば、それは布置 constellation の力、星座のような位置関係の力、音声言語による説明をこえた暗示的な謎めく力である。たとえばその具体的なかたちをディディ=ユベルマンの「アトラス展」に見ることもできるだろう。2011年にマドリード、ハンブルクとつづけて開催されたもので、アビ・ヴァールブルクの仕事「ムネモシュネ」をひきついだこの催しには、膨大な数のイメージ、とりわけマトリクスのような、マインドマップのようなモンタージュ群が展示された。パネル平面にひしめく夢のように多種多様なイメージは、「視覚知」として、謎めくインフォグラフィックとして、あるいは生けるアーカイヴとして、それぞれの布置が時間や空間やできごとを再構成し、単一的でひとつづきだと考えられてきた「歴史」を脱臼=脱記憶 dismember する。床に就くたび、ひとつづきだと考えられてきた意識がほつれ、夢の時制のなかでふたたび息を吹きかえすときのように。イメージは幽霊のような時間を——つまりは死後生=生き延び survie を7——生きて、残存しつづけるものなのだから。そしてそれぞれのイメージやその布置はモンタージュ的な衝突を繰り返し、ハイパーリンクのように相互参照しあうアナクロニックな空間の広がりを見せ、弁証法的な葛藤に引き裂かれ、錯乱しながらも、静止している。ベンヤミンの『パサージュ論』から言葉を借りれば、「形象の中でこそ、かつてあったものはこの今と閃光のごとく一瞬に出会い、ひとつの状況 konstellation を作りあげるのである。言い換えれば、形象は静止状態の弁証法である。(中略)それは時間的な性質のものではなく、形象的な性質のものである。」
このような布置の力、こういってよければ視覚言語の力には、とても月並みな側面がある。レストランのメニューであれ、ウェブサイトであれ、漫画であれ、新聞であれ、レイアウトのあるもの、デザインされたものにはすべて布置の力が働いている。当たりまえといえば当たりまえのことだし、極論をいえば布置とは区別された空間そのもの、場面そのもののことなのだ。だからといって単に通俗化されるべきものでもない。視覚言語はまさにそれ自身について語る口を持たない。まさにそのために音声言語がそのことについて語らなければならないのだから。その一方で——そして結局は同じことを言うわけだけれども——視覚言語は決して神秘化されるべきものでもない。たとえばまさに「布置」というものに重きを置いていたユングがしばしばオカルトの誹りを受けてきたように。なぜなら神秘があるとすればそれは単に、英語と日本語がちがうという以上に、音声言語と視覚言語のあいだの埋めがたい不一致のことでしかないからだ。音声言語で語りえないものが、視覚言語でもまた語りえないとはかぎらないし、それは何よりコンスタティヴな言表を超えたところにもまた力を持つ。欲望やイデオロギーの力を精神分析がなおざりにしないのと同じように、この力を単なる神秘として片付けるべきではない。その上、さらに立ち止まって考えるべきことがあるとすれば、こうしたパノプティコン的なヴィジョンは、ナチズムとの関わり、ひいては西洋の形而上学システムを支えてきた表象そのものの問題との関わりも深い、ということに触れておくべきなのかもしれない。やや長い引用になるが、ジャン=リュック・ナンシーはこう言っている。「ナチズムが表象を、いかにあらゆる角度から涵養し利用したかは周知のとおりである。それはモニュメントとしての芸術やパレードという角度から、だがまた同じように、『世界の表象』(Weltanschauung『世界観』)という側面からもなされており、このテーマをめぐってはヒトラー自身が、『わが闘争』で、哲学的な言説にとどまることなく大衆にも呈示可能であるような「展望 vision」が政治的に優れた重要性をもつと論じている。たしかに、メディアの有効性が問題になっているのではある。だがそれ以上に問題となっているのは、一望の下に置かれうる世界、その全体性、真理、運命が現前している世界、したがって断層も、深淵も、退隠した不可視性もない世界である。感性的表示〔hypotypose〕としての表象、一望の下に置くこととしての、演出することとしての、現前している〔in praesentia〕真理を産出することとしての表象が、人種、ヨーロッパ、人類の再生についての展望という枠組みにおいて、あらゆる店で決定的な役割を果たしているのである」(『イメージの奥底で』)。もちろんこの指摘をそのままユベルマンやヴァールブルクの試みに当てはめていいわけではない。とはいえ、まるで意味深な陰影をそえるように大戦のころの記憶が兆してもいる。ハイデガーの亡霊もちらつかせながら。表象それ自身の語らないところに。
実際、ユダヤ系ドイツ人だったヴァールブルクその人は1929年に没しているが、彼の仕事を引きついだヴァールブルク研究所はそれから四年後、ナチスによる迫害を逃れ、ビルトアトラスと呼ばれるモンタージュ群とともにロンドンへと移転している。キリスト教の迫害をおそれた異教徒たちのように。さもなくばナチスはこのコレクションを——この記憶力 recollection を——焼き尽くしたことだろう。たしかに似ているのだから。モンタージュによる一望のシステムと、ナチスの世界観とは。イメージによる記憶と(再)現前化。こうした試みを突きうごかす欲望の所在もまた問われなければならない。あるいはなぜ人は忘却を拒むのか、ということも。そもそもヴァールブルクの試み、「ムネモシュネ」は、その字面からアナムネーシスという言葉が思い起こされるように、記憶の女神の名前のことだった。あるいは、オルフェウス教においては、レーテ川のすぐそばに位置する泉の名前でもある。死んだときにレーテの水ではなく、この泉の水を飲めば、すべてを記憶しておくことができるという。そうして全知のまま生まれかわるのだろうか。自分が自分であるという同一性を保ったまま。眠りからさめてもまだ自分は今までの自分のままなのだと堅く信じる人のように。オルフェウスをはじめペルセポネーやディオニソスのように、黄泉に下ってもなお還ってくることのできたものたち、つまり文字どおりよみがえったものたちのように8。
イメージはどうしてあんなにも静かで、不穏なのだろう。写真を、とりわけ人の顔の写りこんだ写真を見るたび、どこか不吉な気持ちになる。フォト−グラフという光の痕跡。その平板なデスマスクは、みずからを過去のものとして不在を告げしらせる。たとえば古代ギリシアのブタデスという娘が戦地に赴く恋人の影をなぞったのがポートレイトの起源とされているけれども、影をなぞるためには実物の恋人からはかならず目をそむけなければいけない。ごく普通の肖像画を描くときでさえもモデルではなくカンバスの方に目をむけなければならないのと同じように。ここにはすでに、不在が、ある種の盲目が、そして戦地に赴く恋人の死が予告されている。盲目の予言者テイレシアスはナルキッソスが生まれたとき、その母親にむけて「この子は自分自身の姿を見ないかぎり長生きするだろう」と予告した。ナルキッソスはみずからのうつくしさに魅せられたあまりに溺死するが、なにより自分自身のイメージを見るということが、すでに一つの死の予告だったのだろう。また、オルフェウスが黄泉の洞窟に下ったのは妻エウリュディケを連れもどすためだったけれども、彼女といっしょに地上へ抜けでるときに「決して後ろを振り返って妻の姿を見てはならない」「さもなくば妻を連れ帰ることはできない」と念を押されながらも、最後の最後でとうとう後ろを振りかえり、結局最愛の人を死の世界にとどめることになった。「見るなのタブー」として広く知られるほかの様々な類型と同じように、ここにもまた見ることと死ぬこと、離別することの、避けがたい喪の悲しみにも似た結びつきがある。決してオルフェウスが軽率だったわけではない。結局のところ、それがイメージというものの定めでもあるのだ。開眼であるとともに一つの失明であるような——そして死であるとともに一つの記念でもあるような——この去勢的=脱記憶的な二義性はどんなイメージにも避けがたく付きまとっている。イメージが不穏なのは、単にそれが不在に満ちているからではなく、同時にある種の生々しい潜勢力を保持しつづけながらつねに現在に関わるからだ。現前と不在のあわいを移ろうこの幽霊的な力、痕跡としてのイメージの力は、遺影のように思い出すこと remember のよすがとなりながらも、記憶を錯乱 dismember させる9。
しかしいずれにしても、イメージは記憶そのものではない。少なくとも、頭のどこかに貯蔵されたデータベースとしての記憶ではないし、そもそも記憶や無意識なるものが実体としてどこかにあるというわけでもない。記憶は一般的に、re-member、re-call 、re-mind、re-collect、re-minisce といった言葉が教えてくれるように、反復や回帰といった運動のなかにはじめて見いだされる。それは精神分析的な情報処理一般の問題、ディスクールという交通の問題に送り返される。ディスクールは時間を必要とするかぎりにおいて、表音文字であれ表語文字であれ、ジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』だろうとウィキペディアだろうと、あらゆる音声文字言語で書かれたものと同様、どこかしら単線的 linear で、クロノロジカルである。
ここで記憶に関する範例的なエピソードの一つとして、フロイトの報告したあの「いないいない遊び」をあげることもできるだろう。生後一年半をむかえたフロイトの孫エルンストは、母ゾフィーの不在のなかで、何を思ったのか、木製の糸巻きを手にとり、それをベッドの影に投げこむと、オーオーオー(ない、ない、ない)と舌足らずにも嬉々とした声を上げた(彼は fort と正しく発音することがまだできないのだった)。すると今度は糸巻きの糸をひきよせて——まるでアリアドネの糸巻き10の、その糸をたぐり寄せるテセウスのようにひきよせて——、ダー(あった)と満足げにいった。ごくごく単純なこの再会の物語、ベッドの影にかくれた糸巻きを再び見いだすという、ただそれだけのふしぎな喜びに満ちたこのエピソードは、ディルクールというもの、つまり「物語り」というものそれ自体のはじまりの寓話でもある。糸巻きの不在を、ひいては母親の不在を「オー」という声によって引き受けること。このことをラカンは「物の殺害」と呼び、言葉の世界、つまり象徴界への参入の契機と見なした。言いかえれば、幼児期の沈黙をこえてディスクールというクロノロジーを獲得するということ。こうしたことを説明する上であまりにもよくできたこのエピソードはまた、ベッドの影を無意識になぞらえれば、意識と無意識の交通のはじまりの寓話にもなる。糸巻きという思い出が見え隠れするなかで、一歳半の男の子は、記憶というものの喜びを知る。つまり、糸巻きが完全に消え去ったのではなく、ベッドの影のなかにとどまりつづけているということの喜びを。なぜなら彼はしっかりとその糸を握りしめているのだから。未分化だった声(フォネー)が「ダー」や「オー」といった語に分節=去勢されたのに対して、糸は断たれずにいるままだ。糸というこの交通の回路が——それは糸電話のふるえる糸のようだ——記憶を、再会を、可能にする。まるで母のような、アテナのような、アリアドネのような、ベアトリーチェのような糸が導いてくれるので、彼は決して迷宮で迷子にならない11。
ある種の盲目というものが暗に差しはさまれたのは、まさにこのときだったのだろうか。エルンストは、幼児期の沈黙をこえて言葉の世界に参入した。まるで目から口への移行を果たしたプラトンのように。しかし単にそれだけでなく、糸という導きを得た。たとえ迷宮のなかで目が見えなくとも、それを握りしめてさえいればやがて出口を見つけられることができるかもしれない。指先を、つまり触覚を使って、いわば歩くすべを彼は覚えた。記憶をたぐり寄せるということもまた、まさに暗やみのなかでの手探りの作業ではなかっただろうか。暗室のなかで写真を現像するときのように。感光材に焼きついた光の痕跡を、潜像を、現像液にひたして再び翳らせるときのように。
ところで、というべきか、ユジェン・バフチャルという写真家は、はじめから盲目だったわけではなかった。まずはじめに一本の枝が左目に刺さって光を奪った。そうして数ヶ月のあいだ片目で過ごしているうちに、今度は地雷のせいで右目に重傷を負った。しかしすぐに視力が失われたわけではなく、徐々に風景の色彩は退いていったが、まだ辛うじて世界を見ることができた。彼の目が完全に見えなくなるまでには数ヶ月の猶予が残されていた。「だからそのあいだ中、引きかえすことのできない旅立ちの御伴に、美しいものだとか、本とか、色とか、空の様子をいそいで記憶にとどめなければならなかった」(Le voyeur absolu.)と彼はいう12。そして十二才のころに何も見えなくなった。はじめてカメラを手にしたのはそれから四年後のことで、それは単に、思いを寄せていた女の子のスナップショットを撮るためだった。バフチャルはこう回想している。「そのとき感じた喜びは、自分のものではないものを盗みとってフィルムにおさめたことから来ていた。見ることのできないものを所有できるのだということをひそかに発見したのだった。」彼はこうしてその後も写真を撮りつづけた。しかしもちろん「カメラで撮られた像のなめらかな表面が何かを訴えかけてくることはない。自分にはかつて見たり会ったりした風景や人々の物理的な痕跡しか残されていないのだから。そういうわけで、他人の見たその写真の亡霊的なまぼろし simulacre を通してしか自分のまなざしは存在しない。自分はこの大いなる無用さをうれしく思う。自分の内部でイメージを息づかせる他人のまなざしこそ自分は必要としているのだから。」
バフチャルにとってシャッターを切ることは、盲目とともに盲目のなかでたしかに生きられていたはずの世界を——声や触感や匂いにみちた時間を——切りとり、写真という沈黙のなかに送り返すことに似ている。あとにはつるつるとした写真の手触りのむなしさしか残らない。まるですべての写真が露出過多によってのっぺらぼうのような明るい静けさに満ちてゆくように、シャッターを切るたび時間がどこか手の届かないところに埋葬されてゆく。まるでなにかを聖化するときのように、けれども見届けることはできないまま。と、そんなふうに想像をめぐらせることもできる。しかし彼にとって写真を撮ることは必ずしもそういうものではなかった。
第一に、彼が彼自身の写真を見ることはできなくとも、他人はそれを見ることができる。他人が彼の写真を見て、彼に彼自身の写真について語ることで、フィルムに切りとられたイメージは新たに息を吹きかえす。他人によってもたらされた言葉が、意味が、彼のなかでイメージへと受肉する。第二に、身も蓋もないといえばそれまでだけれども、彼はそもそもこの現実を記録するためではなく、自分が頭のなかで思い描いたものを現実化するためのシャッターを切る。たとえ頭のなかのイメージと現実との不一致こそが、きっと彼の作品の魅力となっているにしても。彼ははっきりとこう述べている。「写真を現実の『切りとり』として捉えるのではなく、むしろコンセプチュアルな構造物として、視覚言語という統合的な形態として、マレーヴィチの黒い正方形のようなシュプレマティスト的イメージとして捉えるような立場に、とても親近感をおぼえる。」まるで、ユベルマンの試みのように。彼のイメージは一つの言語なのだった(実際、奇妙なことにもというべきか、彼はカメラを口元にかまえるという)。イメージにはこのとき、言葉の盲目が——シニフィアンという指示性という盲目、ブタデスの描いたポートレイトのように自分ではない別のものを指さすような盲目が——染みわたっている。そしてイメージもまた言葉に生彩と翳りを与える。言葉はイメージへ移ろい、イメージは言葉に移ろう。言葉のあるところにはイメージがあり、イメージのあるところには言葉がある。そしてバフチャルにおいては彼の盲目こそがイメージと言葉の触れあう交通空間となる。あるいはまた、イメージを眼差す他者が彼にむけてイメージを言語化する余地の所在となる。しかし、バフチャルにかぎらず、誰しもが少なからず盲目なのだ。イメージを伴わない言葉も、言葉を伴わないイメージもない。それぞれが互いを汚染しあっている。こうした汚染の余地、あるいは閾とでもいうべきところに、夕方のような暗やみがある。ひとつの神秘として。息をひそめて耳をすましつづける名もない動物の、そのしずかな息遣いように。
それでもやはり忘れてはならないのはむしろ、ユジェン・バフチャルという写真家ははじめから盲目だったわけではなかったということだ。彼が失明するまでに見た光景のすべては、故郷スロヴェニアにあった。故郷だけが、明るい。それ以外の場所、失明後におとずれたどの町も決して輝きに翳ることはなかった。「自分の幼少期の世界は、光であり永遠だった。すべてがそこからやってくる」と彼自身が言うように。まるでオプトグラムのようでもある。殺人事件の被害者が最後に見た光景。それが網膜に焼きついているという探偵小説的な迷信。生と死のはざまにある最後の光学的な痕跡。まるでそんなような光の痕跡、亡霊のような光のノスタルジアが、彼のヴィジョンを支えている。故郷の光、光の記憶がひとつの永遠として、最初のまなざし、失われたまなざしとして、つねにそこにあるからこそ、彼はシャッターを切ってイメージを暗やみへと送りかえすこと、記憶の光を埋葬することができる。ドン・キホーテを自称するこの盲目の写真家が仮にもナルキッソスのように死ぬことがあるとすれば、それはこの光のなかにおいてでしかない。晴眼者であれば目を閉じることができる。しかし彼にはそれができない。悪夢を振りはらおうとするあまり、真夜中に寝覚めてしまう、ということさえない。瞼のない魚たち、まるで夢うつつの魚たちのように、夢も思い出もすぐそばにある。まるで暗やみに触れることのできる光のように。まるで光というものが触れることのできる一本の糸であったかのように。
バフチャルのことを知ることができたのはそもそも、ある人がこの写真家の作品を何枚かメールに添えてくれたからだった。バフチャルの作品はとても美しい、と彼女はあるとき言った13。「どこかヌードデッサンを思わせるようなところもある。あなたがヌードデッサンを今まで一度でもしてみたことがあるかどうかはわからないけれども14、わたしからすれば人が経験できることのなかでもこれ以上面白いものもそうそうない。以前は何度もヌードデッサンをしていたのに、ここ数年はなかなか時間がとれずにいた。けれどつい最近になってようやくその機会がめぐってきた。ヌードを描くのと、ヌードになって描かれるのと。それがどれほど素晴らしかっただろう。なによりヌードデッサンは——それとも、どんな絵だろうと何かを描くということは——盲人が写真を撮るのに通じるところがある。結局、視力だけではなく他の感覚も必要なのだから。たとえ体のごく一部を描くときでさえ、あらかじめ肌や筋肉や骨を感じとらなければならない。じかに手で触れるように。意識と無意識のつながりをずらしてゆくなかで、ものの見方を変えて、『肉そのもの』に集中しながら。」
ある種の暗やみのなかでこそ、この共感覚的な視覚と触覚の交わりがはたされる。そしてなにかを描くということが手探りの作業であるのなら、書くことも読むこともまた盲目になるということだった。象形文字のような視覚言語とちがって、音声言語は布置のかわりに声を伝える。表語文字であれ点字であれ、朗読されたものであれ、この原則は変わらない。たとえば、かつては黙読というものがそこまで一般的でなかったという。黙読ができるというだけで、アレクサンドロスやカエサルは部下や政敵を困惑させた。アウグスティヌスでさえも、黙読する人の姿を見かけて「彼は決して声を出して読書することがなかったのである」と素朴な驚きとともに告白している。さらに時代を遡ればなおさらのことだった。アルベルト・マングウェルは『読書の歴史』のなかでこう言っている。「シュメール人による初期の銘板以来、書き言葉は、もともと朗唱されるのを意図して記されたものであった。文字という記号は、まるでそれが筆者たちの魂であるかのように深い意味があり、ある特別な音を発するものとされていたのである。古典古代には、よく『書かれたものは残り、話されたものは空中に消えていく』という言い方をしていたが、これは実際には、全く反対のことを言わんとしたものである。つまり、朗唱される言葉は、動きのない、いわば死んだ書き言葉とは違って、翼を持ち空を飛ぶこともできるということを賞賛した表現なのである。」読書は目ではなく第一に耳によって行われていた。ジュリアン・ジェインズはまた次のように述べている。「紀元前三〇〇〇年の頃の読書法は、楔形文字を聞く、つまり、今日我々がやるように音節を視覚的にとらえて読んでいくのではなく、絵で抽象的に示されたものを見て、そこから発せられる言葉を、幻覚のようなものとして聞いていたのではないか」(The Origin of Consciousness in the Breakdown of the Bicameral Mind.)
けれど黙読が広く普及したいまになっても読書が声を必要とするのに変わりはない。人はしばしば文字を見るたび、看板に書かれた文字であれなんであれ、こころのなかで癖のように、まるで強迫性障害のように、つぶやいてしまう。独白のある演劇の登場人物たちのように声を出さずにはいられない。たとえ聞き取れないほどかすかな声がこころの奥底でつぶやかれたのであったとしても。フォトリーディングをするのはとても難しく、多くの場合はせいぜい本のページをざっとめくりながら特定の単語を目で追って探しだすことしかできないのだから。人はまだ声の盲目性のなかに、つまりは単一性というクロノロジーの盲目のなかにとどめおかれている。まさにそのために、書くときも読むときも、晴眼者と盲人はともに同じような暗やみを生きる15。この闇は、閉域であるというよりも、単に閾と呼ぶべきもので、それは複数の感覚の混じりあうあわい暗がりのことだった。書けば書くほど、まるで視力を失ってゆくような気分にもなる。あるとき本当に目が見えなくなってしまう、という予感がエクリチュールの暗やみにおりてくる。既にはじめからそこにあったもののような、ひとつの既視感のような暗やみのさなかに。たとえば谷崎の『盲目物語』——盲人の語りを書きとったという体の小説——を読んだときと似た不安が、今まで手にとったどんな読み物のなかにも再び見出される。その不安にはどこか神聖なしずけさがある。触れるということが、その暗やみが、自分自身を運び去るときのようなしずけに満ちているのと同じように。その一方で、たとえばプルーストのように、物語のなかで語り手がなにかを思い出すとき、そこには季節の花開くような不思議な明るさもあるのだった。奇妙な記憶の明るさ、思い出として灯る明るさ。この明かりはどこからやってきたのだろう。それとも、はじめからそこにあったのだろうか。この明るさが、暗やみという影を投げかけていたのだろうか。
「触れるな」Noli-tangere という学名の花がある16。日本ではキツリフネと呼ばれるこの花は、果実の熟したころになると指先で触れただけでも堪えきれずにはじけてしまうという。花には目もまぶたもないので、起きているのか眠っているのかどうかもわからない。いつも夢うつつで、ずっと昔のことまで記憶をたくわえているようにも、すっかり記憶喪失にかかった人のようにも見える。いずれにしても、花は触れられることにはひときわ敏感なものなのだ。結局のところそれは生殖器なのだから。「触れるな」というこの名前は、ヨハネによる福音書の物語(20章)からきている。「わたしに触れるな Noli me tangere」と呼ばれる一場面として、そのままタイトルとして、絵画に描かれてもいる。それが一つの台詞である以上、まるで絵画それ自身が意志を触れられることを拒絶しているかのようでもある。
この場面は、イエスの死後何日か経ってマグダラのマリアが墓園に行くところからはじまる。まだ日の昇りきらない早朝のことだった。そこでマリアは墓の入り口をふさいだ石が取りのけられているのを見て、二人の弟子たちのところに駆けてゆく。「だれかが主を取り去ってしまいました。いまどこに置かれているのかもわかりません。」そこで弟子たちは墓に出向き、イエスのくるまれていた亜麻布だけがそこに残されているのに気づく。その後弟子たちが家路についてからも、マリアは墓の前で泣きつづけた。ところがしゃがみこんで墓の中をのぞきこむと、二人の天使がそこにいて、「女よ、どうして泣いているのだ」というのだった。マリアが答えていうには「だれかが主を取り去ってしまったからです。いまどこに置かれているのかもわかりません。」そう言いながら振りかえると、イエスがそこに立っていた。けれども彼女はそれがイエスだと気づかず、園丁なのだと思った。「女よ、どうして泣いているのだ。だれを探しているのだ」と彼はいった。マリアは「あなたが主を運び去ったのでしたら、どこに置いたか仰ってください。わたしが引き取ります」といった。
すると突然、彼は、「マリア!」と言った。
彼女は振りかえり、「ラボニ!17」と言った(これはヘブライ語で「師」という意味だった)。
「**わたしに触れるな。**まだ父のもとに上っていないのだから。だがわたしの兄弟たちのところに行ってこう伝えなさい。わたしはわたしの父のもと、あなたの父のもとに、わたしの神のもと、あなたの神のもとに上ってゆくのだ、と。」
彼女は弟子たちのもとに行って、彼女が主を見たこと、主が彼女に言ったことを伝えた。こうして彼女ははじめの証人に、イエス復活の福音をはじめて告げしらせる者になる。触れることと告げしらせることがあたかも両立できないことのように。ひとたび触れてしまえば、もはや生きてはかえってこれなくなる、とでもいうように。それとも彼女が実際に触れたからこそ、まるで取り乱したような、苦楽に満ちたようなあの台詞を彼は口走ったのだろうか。テクストはいずれとも明示しないまま読者を暗やみのなかにとどめているが、触れるということがここまで異様な凄みを帯びるのは福音書のなかでもめずらしい。イエスはそもそも触れる人として、多くの盲人の目を開いてきたのだから。福音書はある意味、触れることの奇跡を描いているのだ。そのためこの場面でのイエスの口ぶりはまったく謎めいている。まるで触れることの危機から彼自身を守るために口走ったようでも、彼女を守るために口走ったようでもある18。まるでロードムービーのような道行きの物語、死ぬために生まれたイエスの軌跡をたどる福音の物語は、このときからまるで霧がかったように謎めく幽霊譚になってゆく。なかば後日談のように語られる挿話のなかで、イエスは弟子たちのもとにふたたび姿を現す。不可思議だけれども、どこか日常に帰ったときのような空虚さのなかで。ルカによる福音書(24章)では、エマオという村につづく道を二人の弟子たちが話しながら歩いていると、イエスがすぐそばまで近づいてきて、いっしょに歩きはじめた。けれども弟子たちはそれがイエスだと気づかなかった。イエスが話に口を挟んでもまだ彼らは気づかない。その日の夜にいっしょに宿をとることになり、そこでイエスが祝福したパンを彼らに分け与えたときになってようやく弟子たちの目は開く。そして、それがイエスだとわかった途端に彼の姿はかき消えてしまう。マグダラのマリアのもとに姿をあらわした途端、天に昇っていったのと同じように。こうした幽霊めいた話は二千年後の今でもときどき耳にする。心霊写真にうつりこんだ顔のように、イメージのあいまいさのなかで人々はキリストの姿を幻視する。たとえば汚れた壁の染みのなか、グーグルマップの航空写真のなか、愛犬の毛並みのまだら模様のなかに。
実際、マグダラのマリアは何を見たのだろう。だれが彼女の目に触れたのだろう。はじめにマリアのもとにあらわれたのはただの名もない園丁だった。そして彼が自分の名19を呼んだ途端、「マリア!」と言った途端に、何か言いしれないことが起こる。彼女は何かを体験する20。目から耳へのむけ変えが起こる。耳のなかの暗やみに何かが射しこむ。まるでその瞬間、声が耳に視力を与えたかのようでもあれば、盲目になったかのようでもある。信じるということ、それは第一に盲目であるということだった。それが盲信でなければ、信じることでない。見ずに信じるものは幸いである、とイエスが言ったように。このとき、早朝の暗やみのなか、テクストの暗やみのなかで、イエスは自分でありながら自分でない。園丁もまた自分でありながら自分でない。この場面を描いた何枚かの絵画においてもこうした同一性は宙づりにされている。たとえ顔だちはイエスそのひと——ようするに、あたりさわりのない「あのイエス」の顔——であったとしても、同時に園丁の持物 attribute である麦藁帽子やシャベルや鋤といったものを具えてもいる。あくまでもあいまいで、うす暗いのだった。だからこそ「マリア!」という声が——したがって「ラボニ!」という即座の応答、その裏打ちが——強くひびく。しかしマリアというこの名前もまた、ひびきわたる記憶の倍音のなかに、記憶の単一性を瓦解させてゆく。それは、どのマリアだったのだろう。聖母マリア、ベタニアのマリア、エジプトのマリア、マグダラのマリア、マリア・サロメ……。イエスは薄明のなかでひょっとすると見まちがい、人ちがいをしたかもしれない。マリアという署名は、記憶のよすがになるものであるとともに、文献学的な人物同定を——こういってよければコンスタティヴな真理を——こえたところで、イエスを目の前にしたひとりの女性の素性と来歴をふたたび暗やみに送りかえす。そしてこの暗やみこそがマリアの盲信の暗やみなのだった。
イエスは、よみがえったわけではない。たとえば、スサノオが粗暴を働くあまり、アマテラスはぐずってだだをこねた子供のように天岩戸という黄泉の洞窟にこもってしまったのだった。こうして世界が真っ暗になったが、神々が額をよせあって知恵をしぼり、最終的には八尺鏡にうつるアマテラス自身の姿を見せることで彼女を黄泉から連れもどすことに成功する。ナルキッソスの場合とは反対に、自分自身の姿をみて自分が自分であることを確かめたために、アマテラスはよみがえることができたのだった。よみがえるということが、こんなふうに記憶や生の連続性、つまりは自己同一性を保証するものであるのだとしたら、イエスは決してそのような意味でよみがえったわけではない。つまり、クロノロジカルな意味で、死を取り消し、永遠の命を得た、というわけではない。そうではなく、息を殺すような死の静けさのさなか、死の空虚な広がりそのものとして、イエスは復活 anastasis したのだった。「復活は生への回帰ではない。それは死の只中の栄光である」とナンシーはいう(『私に触れるな』)。「復活とは、直立姿勢が、つまり地上の水平性に直交する垂直性が、方向=意味 sens の変化を示しているという意味で、死者の〈起ち上げ〉[levée]である。」「それは死を弁証法的に呈示するのでも、媒介するのでもなく、ひとつの生の、死すべきものとしてのあらゆる生の、独異なものとしてそれぞれの生の真理を、ここで起き上がらせる[faire lever]。垂直の真理、死んでしまった生命が物質の小片に分解する水平秩序とは通約不可能なもの。それゆえ、別の生への移行のあらゆる表象とも通約不可能。復活とともに、もはや闇の王国に生きる死者たちはいなくなり、もはやレテの傍らで彷徨う罪深い魂はいなくなる。」
ふたたび静かに立つという字義通り、復活 ana-stasis は静けさにみちている。クロノロジーという一次元的=単線的 linear な運動ではなく、むしろ二次元の平面的なひろがりの静けさに生も死も満ちてゆく。そのため輪廻転生という記憶と忘却のキアスムもそこにはない。イエスはよみがえることで自己同一性を回復したわけでもなかった。よみがえるとすれば、それは他者のなか、たとえば園丁の肉体のなかでのことなのだった。まさに死者であるという点で、イエスはもはや自分自身と一致しない。イエスはイエスでなくなる。けれどもクロノロジーの終わりとしての死ではなく、エーテルのように生そのものに満ちた死のしずけさのなか、生死の平面的なひろがりのなかで起き上がる。もはや記憶ではない記憶のなかで。
地下鉄は黄泉の洞窟を流れるあかるい川に似ている21。白河夜船のようにうたた寝をしながら運ばれてゆく乗客の顔を見るにつけても、窓にうつる幽霊のような自分自身の顔を見るにつけても、奇妙な感慨に襲われもする。自分は死ぬ。けれども今のところはまだ生きているらしい。そんなような思いを抱いたりなどして。死はそのとき、予感されるものでも運命づけられたものでもない。死は、顔という自分たちの空白の表面にひとしく書きこまれている。生のなかに、しずかなエーテルのように満ちている。結局——仮に輪廻転生といったものがあったとしても——死は記憶することも経験することもできないのだから。そのような意味で、人は不死なのだった。自分は、いつか、かつて、死んでしまったであろう would have died はずなのに、こうした仮定法もむなしいままに、まだ生きている。記憶喪失にかかってしまったのだろうか。命は、死後生=生き延び sur-vie として残存しつづけている。そして、死が生のなかに満ちているのと同じように、この世界、この言葉の世界に満ちているもの——それはインファンティアなのだった。アガンベンの『幼児期と歴史』によれば、「インファンティアというのは、たんに、そのクロノロジー的な場所を孤立してとりだすことのできるような事実ではない。また、心理学や考古人類学が言語活動とは独立の人間的事実として構築するかもしれないような身体−心理的な時代ないしは状態のようなものでもないのである。」つまりそれはいまや失われてしまったものとしての単なる幼少期ではない22。それはディスクールに満ちているしずかな沈黙、無言 in-fantia のことである。そしてこの沈黙こそが「言語活動の超越論的起源そのものであり、(中略)語りえないものとは、現実には、インファンティアなのだ」という。インファンティアは、一つのしずかな体験、それを語ることのできないがゆえに人を強いてディスクールへとむかわせる記憶、あるいは神秘のことだ。神秘とは、世界がどのようにあるかということではなく、世界があるということそのものの呼び名であるとすれば。アガンベンはこう締めくくっている。「インファンティアのうちにその本源的な祖国をもっているもの〔つまり私たち〕は、インファンティアに向かって、そしてインファンティアをつうじて、旅しつづけていかなければらないのである。」この道行きにはそもそも終わりというものがない。イエスの描いてみせた生から死への道行きが、復活をとおして、クロノロジカルな進行とはちがった平面的な広がりを見せたのと同じように。では実際、インファンティアにむかうとは、どこへむかうことなのだろう。
イエスは、根無し草としての——ナザレのイエスというより、イエス・キリストとしての——生を生きた。結局、故郷ではなく父なる神のもとへと帰ったのだから。つまり、地上の水平的な広がりに位置する故郷という一点ではなく、天上という垂直な広がりの方へと。けれどもイエスとは対照的に、オデュッセウスの方は故郷というものに異様な執着を見せた。そして十年におよぶ長い漂泊の末、トロイアへの従軍をあわせれば二十年におよぶ外出の末、故郷イタケーに戻り、妻ペネロペイアに言いよる求婚者たちを皆殺しにする。その後も自分が本当にオデュッセウスなのだとなかなか信じようとしない妻には、夫婦だけの秘密を語りきかせてふたたび契りを結ぶ。彼はこうして家父長制という記憶・継承のシステムを——イエスとはちがった非神学的な家父長制を——回復する23。それが帰郷するということなのだった。それはまた、こういってよければ、自分の名前を取りもどす旅、亡霊めいた放浪者の身分をくぐり抜けてふたたびよみがえるような、まるで前世の記憶を取りもどすような旅でもあった。彼は実際、帰郷するまで何者でもなかった24。トロイア戦争で武勇を誇った誉れだかいオデュッセウスとしての記憶と、イタケーの王であり、ペネロペイアの夫であり、テレマコスの父であるオデュッセウスとしての記憶のあいだでなかば宙づりにされたまま、まれびとのような、ホモ・サケルのような、ゆらめく影のような存在になる。彼は未生の「ウーティス」Nobody だった。遍歴の途中でキュクロプスの洞窟に閉じこめられたとき、彼はウーティスと名乗っておいたあとで、この一つ目の巨人の目を潰す。目から血をほとばしらせながらうめき声をあげるのを聞きつけた仲間たちに、盲目となったキュクロプスは「ウーティスがやった Nobody did」、つまり「だれもやっていない」と言った。そのため仲間たちは内心大笑いするオデュッセウスに気づかないまま呆れはてて帰ってしまう。オデュッセウスは自分自身がだれでもないことによって道を切りひらき、島々をわたる越境者となることができた。イタケーにたどりついてからも、アテナの計らいによってオデュッセウスはみすぼらしい老人の姿に身をやつす。神々自身がしばしば乞食や動物といったまれびととして——内と外のあいまいな境界に身を置く存在として——あらわれ、人を試みるように。歓待の精神、素性のしれない存在への無償の善意、盲信のような素朴さがそこで問われることになる(そして善意あるものには恩寵を与えるわけだけれども、恩寵とはまず神がそこにいるということそのものなのだった)。オデュッセウスははじめに我が家の豚飼いを試み、つづいて息子のテレマコスを、乳母のエウリュクレイアを、妻のペネロペイアを試みる。歓待の精神とともに、オデュッセウスという男への変わらない忠誠があるかどうかを。それはいわば古い約束、記憶ならぬ古い記憶がいまなおそこにとどまっているかどうかを見定めるということでもあった。もしこの記憶がなければ、彼はいつまでもウーティスのまま、オデュッセイアという名前を取り戻すことができない。彼自身の記憶は単なる前世の記憶のようになってしまい、まるでハムレットのような狂気に陥るかもしれない。異なる記憶を縫いあわせるということ。そのためにはまず愛する人を盲目のなかにとどめなければならないのだった。
それにしても、ホメロスが盲目だったというのは本当だろうか。あるいは、『ユリシーズ』の作者であるジェイムズ・ジョイスはどうだったか。重い眼病を患っていたのは間違いない。隻眼だったという話もある25。しかし少なくとも、『ユリシーズの瞳』——原題を直訳すれば『オデュッセウスのまなざし』Το βλέμμα του Οδυσσέα ——の作者、テオ・アンゲロプロスはそこまで目が悪かったというわけでもないのだろう。彼は映画監督だったのだから。「魂はみずからを知るのにひとの魂をのぞきこむ26」というソクラテスの言葉とともに、映写機のリールが突然勢いよくまわる音ともに、映画『ユリシーズの瞳』(1995)ははじまる27。古いモノクロの映像が写しだされ、勢いよくまわる糸巻きのリールとともに女たちが織物をする姿が目にとまる。1905年にバルカン半島ではじめて撮られた映像、「織り子たち」。ギリシア初の映像作家、マナキス兄弟が故郷アヴデラで撮った映像だった。しかし、それが本当に初めての映像だったのだろうか。きっとそうではない。実は、さらにその前にこの兄弟が撮ったもので、まだ未現像のフィルムがバルカン半島のどこかに残されているという。つまり、最初のまなざし、失われたまなざし、失われた一つの無垢が——。まるで幼少期という始原の記憶をさがすような放浪の旅 odyssey がこうしてはじまる。オデュッセイアが海によって分断された島々をわたる旅だったとすれば、今度は国境線によって分断され、紛争によって分断されたバルカン半島という火薬庫をめぐる旅として。
未現像のフィルムというこの失われたまなざしを求め、アメリカに亡命中の映画監督Aが故郷ギリシアに戻ってきたのは、三十五年ぶりのことだった。同時に、それは映画誕生から百年を記念するための作品を——つまり『ユリシーズの瞳』というこのロードムービーを——つくるためでもあった。個人的、私小説的であるとともにきわめて政治的でもあったこの旅は、歴史という時計の針をさかのぼるような退行であるとともに、ときにはオデュッセウスそのひととして、ときにはマナキス兄弟そのひととして、ときには幼少期の自分自身として、アナクロニズムという道なき道のひろがりを生きることでもある。故郷ギリシアに戻ってきた途端に、また新しい長旅がはじまる。地上というこの水平性のなかでは、国境を超えた先にもつねにまた国境があるように。映画監督Aを演じるハーヴェイ・カイテルは、どのシークエンスにおいてもほとんど茫然自失とした表情を崩さない。ウーティスとして記憶喪失にかかったようなこの無名性のなかで、複数の見知らぬ記憶が重ね透かされながら綾をなして、夢ならぬ夢のように、映画というスクリーンの平面に写しだされる。いわば彼はマナキスやオデュッセウスの生まれかわりとして、パロディとして、かつての彼らの物語、その古い記憶をなぞってゆくのだけれども、それは無自覚なまま知らず知らずのうちでのことなのだった。それは夢だったのか、妄想だったのか、ユーゴスラヴィア紛争のさなかでのことだったのか、マナキスの生きた世界大戦期のことだったのか、彼は旅の途上であやうく銃殺されかける。しかしそれは、彼自身のことだったのか、マナキスそのひとだったか。ふいに古名が、むかしの土地の名前が、彼の口をついてでる。フィリッポポリス……。エヴロス川……。いまはもう別の名前で呼ばれている場所。けれどもこれはだれの声だったのだろう。だれの記憶だったのだろう。この寄る辺ない名前は。前世の記憶を彼は思い出すことができない。彼は何者でもない28。こうした無自覚の静けさのうち、空虚さのうち、彼が彼自身であり彼自身ではないところのうちに、記憶ならぬ前世の記憶が現世として復活する。夢なのか、現実なのか、前世のことなのか、いまのことなのか。こうした区別が、超越性というものの欠いた映画というスクリーンのなかでは無効になる。役者と登場人物の区別さえもつかない。彼が銃殺されかけたとき、そのときハーヴェイ・カイテルは映画監督Aを演じていたのか、マナキスの方を演じていたのか。映画の世界、イメージの世界では、すべてが渾然一体となる。ちょうど福音書の物語のように29。
しかしまた、ディスクールというもの、物語というものがなければ、映画から重層性が消え、イメージは意味を欠いた平板な世界になってしまい、記憶というものもまた失われてしまう。だから問題なのは、物語とイメージとの出会い、映画という暗やみのなかでの出会いについてなのだ。物語の登場人物たちは、それがどんな物語であれ、映画のような暗やみのなかを生きている。彼ら言葉の世界の住人はイメージというものを知らない。彼らは盲目だった30。『ユリシーズの瞳』ではそれが決定的な形であらわれる。映画監督Aは、失われたフィルムを求めて放浪するうちに、この道行きを導く四人の女性に出会うのだった。キルケーやカリュプソ、ナウシカー、ペネロペイアといった女たちがオデュッセイアに登場するのと同じように。はじめに出会うのは昔の恋人で、久しぶりに戻った故郷の町で見かけたそばから、声をかけることもできずにすれちがってしまう。それから、マケドニアのフィルム・アーカイヴ職員、ブルガリアの未亡人、サラエヴォのフィルム・アーカイヴの館長の娘。それぞれが別の登場人物であるのに、演じているのはマヤ・モルゲンステルンただ一人なのだった。同じ顔が幽霊のように繰りかえしあらわれるたびに、まただ、と思う。映画監督Aは、物語の登場人物であるというまさにそのために、このことに気づかない。イメージは決して彼の目に触れない。物語、脚本のレヴェルにおいては、それぞれの女性はたしかに別人なのだから。年齢がちがえば、出身もちがう。名前もちがう。職種もちがう。それぞれが別の来歴を生きている。しかしこういってよければ、それは文献学的な問い、コンスタティヴな問い、ようするに「どのような人なのか」という問いでしかない。ここには「だれなのか」という、いわば固有名をめぐる問い、単独性をめぐる問いが抜け落ちていて、物語りは決してこの問いに答えることができない。どれほど多くの文献学的なデータベースをかき集めたとしても。だからこそ「あなたはだれなのだろう? Who are you?」という素朴な問いが、寄る辺なさのさなか、「あなたは何を——だれを——探しているのか?What are you looking for?」という問いともに、この映画のなかでオブセッションのように繰り返される。いつか、どこかで、会ったことがあるような気もする。けれどもこの記憶をたどることはできない。こうした混乱のさなか、盲目のさなかにこそ、イメージがイメージとして、登場人物に視力を与えないまま、なによりも古い始原の記憶として、再びしずかに立つ。それは、物語との出会い、接触 touch なのだ。なぜなら物語という盲目、言葉特有の「もし」という仮定法、言葉の否定性、言葉が織りなす世界の複数性がなければ、イメージはその視力を失うのだから。言葉から身を引きはがす退隠の力を、したがって言葉に触れる力を、距離という一つの神秘の、その寄る辺なさを。
その人は、旅のはじまりからそこにいた。まるで恩寵のように、さも当たりまえのことのように。名前を持たないこの女性、マヤ・モルゲンステルンの演じるこの女性は、イメージそのものの譬えとして、みずからがだれでもないことによって、物語そのものを導く。物語を現働化するものとして、物語を紡ぐ糸そのものになる。役者がいなければ、そして役者がだれでもないことによってしか、そこに登場人物がいないのと同じように。オデュッセイアの妻ペネロペイアは死んだ義父の経帷子を織ってはまた解いたのだった。これが織り上がった末には百八人の求婚者のうちからひとりを選んで新しい夫とすることを約束した、その約束をいつまでも宙づりのままとどめおくために。映写機のリールも、糸巻きのリールも、はじめから、始原から、恩寵のように回りつづけていた。ちょうど忘却の川がいつまでも流れていて、この川自身もこのことをすっかり忘れているのに、それでもまだ流れているのと同じように31。
リールの勢いよくまわる音がまた聞こえはじめる。映画監督Aが長旅の末にようやく手にしたフィルムを、戦争のためにいまや廃墟となった映画館のスクリーンに映し出しながら。彼はあいかわらず茫然自失としながらスクリーンを見つめ、だれでもない声で、だれにともなくこう語りかける。「わたしが戻ってくるとき、わたしは他人の服を着ているだろう。他人の名を名乗っているだろう。わたしは不意にやってくる。おまえはわたしを見て信じられずに言う。あなたがここにいるはずがない、と。だからおまえが信じられるように、しるしを見せよう。庭のレモンの木や月明かりのさす冷たい窓のことを話してきかせ、わたしの体のしるし、愛のしるしを見せよう。そしてなつかしい寝室におずおずと上がり、何度も抱き合うあいま、愛をささやき合うあいまに、長い夜が明けるまで、旅の話をしよう。そして次の夜もまた、何度も抱き合うあいま、愛をささやき合うあいまに。すべての人類の冒険譚、終わることのない物語を。」
目眩というもの、目の暗む経験は、時として耳にまつわるものではなかっただろうか。たとえば内耳炎 Labyrinthitis によって引き起こされる内耳性目眩。耳のなかの迷宮が燃え、脱出のための手がかりが煙るようにほどけてゆく。平衡感覚が失われて寄る辺なくなる。内耳炎にはまだ小さなころに一度だけかかったことがあって、心配した母が自分を耳鼻科まで連れていってくれた。その病院のロビーにあったステンドグラスのことが忘れられない。どぎつく鮮やかなガラスの欠片のひとつひとつよりも、ガラスのつなぎ目のくねくねとした迷路模様に目をうばわれているうちに、なぜだかこの病気はもう治らないのだと思った。しかしその期待は外れた。 ↩︎
聖イグナチオ教会の洞窟のような地下墓地——クリプタに足を運んだときのことが忘れられない。それは死者の記憶、永遠なる神の栄光につつまれた記憶を司るとともに、隠された地下聖堂として二千年に及ぶ迫害の記憶もまたとどめている。母はキリスト教系の新興宗教の信者だったが、私はやがて母を迫害するようになる。母は隠れて祈るようになった。クリプタのなかで母を思い出したのは、そのためだったのだろうか。迫害の記憶とともに母の面影がよみがえった。長居すべきではないと思い、地上に続く螺旋階段の方へ引き返し、宙を見上げて壁一面のステンドグラスから注ぐ光につつまれたとき、強い目眩をかんじて躓きそうになった。クリプタは静かだった。 ↩︎
ウンベルト・エーコはこう述べている。「私は若いころにその本を買っていたのだった。その本にざっと目を通すとそれが異常に汚れていることに気づき、どこかに放り出したきり忘れてしまった。しかし、ある種の内なるカメラによってそのページを自分は写しとっていたのだ。そして何十年ものあいだ、不愉快なそのページのイメージが魂の最もほど遠いところ、まるで墓地のようなところに横たわっていて、あるとき——どんな理由か知るよしもないが——もう一度あらわれでた。そして自分がそれを生みだしたのだと思った。」(Interpretation and Overinterpretation.)彼はフォトリーディングをしていたのだろうか。 ↩︎
プラトンはイカロスの神話のことを知らなかったのだろうか。太陽を、つまりわたしたちに視力を与えてくれる当のものを見れば、人は失明する。むしろプラトンはこの失明のうちに、真理の光明を見いだしたのか。いずれにしても、洞窟の譬喩について考えるたびに、ちいさなころに街で見かけた一匹のモグラのことが思い出される。夏の暑い日のことで、フライパンのように焼けたアスファルトの上に黒い影がうずくまっていたかと思えば、それは死んだモグラの姿だった。太陽がまぶしすぎたのか、それとも別の理由があったのか、いずれにしても視力はもう失われてしまっている。私は咄嗟に、このモグラは空から墜ちてきたのだと思った。まるで太陽の影のように。太陽の排泄物のように。このときからだったか、道ばたに落ちている何かの影を見るたび不安になる。そうやって得たいの知れないものを見かけるたびに、悪夢を見ているような気になる。目が離せなくなり、よく見てみるとそれが手袋であったり手ぬぐいであったりして、ほっとする。ときには猫か何かが死んでいることもあった。 ↩︎
英語やフランス語でこれにあたる諺は「見ることは信じること」と直訳される(To see is to believe. Voir, c’est croire.)。ナザレのイエスは反対に「見ずに信じるものは幸いである」という。しかしだからといって、彼がプラトンのようだったというわけではない。目を閉じることで哲学という知への愛がはじまるのがプラトンだとしたら——つまり所与の条件への抵抗や否定から、つまり言葉から哲学がはじまるのだとしたら——イエスの場合はそうではなく、はじめから目を閉じている。彼は否定とは無縁である。つまり、彼はちょうどハイデガーのように、真偽を問題とするコンスタティヴな真理ではなく、存在論的な問いのなかに立っている。 ↩︎
テッド・チャンの小説『あなたの人生の物語』には、ヘプタポッドと呼ばれる七本肢のエイリアンが登場する。このエイリアンは音声言語よりも象形文字を使うのを好み、七本肢を同時に駆使してはじまりも終わりもない曼陀羅のようなテクストを書く。そして、フォトリーディングをする。そこには音声を用いたときのような単一性はなく、同時にすべての出来事がたちあらわれるような全体性がある。それゆえというべきかどうか、彼らは人類とちがって逐次的な歴史ではなく、未来も過去もない共時性のなかを生きているので、あらゆる行為をパフォーマティヴにこなす。つまり、あらかじめ預言されていたことを実行に移すために生きている。まるでナザレのイエスのように。「旧約の中に新約がかくれ、新約の中に旧約があらわれる」とアウグスティヌスはいう。このフィギュリズム、出来事や登場人物の類似を、つまりイメージを通して、物語を混交させるこの強引な手続きは脱歴史的でもあり、歴史の超越化でもある。 ↩︎
ヴェロニカという女性——真のイメージ Vera Icona という名の女性——が、物憂げなような、勝ち誇ったような表情で、スダリウム(聖顔布)を掲げあげている絵を見たのはいつごろだったろう。この布には、まるで斬首されたようなイエスの顔が、自印聖像として写しとられている。彼女がイエスの顔を——インクのようなその血と汗を——死の間際に拭ったために。イエスの顔はまるで夢見る人のように静まりかえっている。顔を悦楽にそめたサロメやユディトの手元で、瞑想するかのように項垂れたヨハネやホロフェルネスの生首のように、イエスの首も去勢=脱記憶 dismember されている。その静けさはまた、死に対するイメージの勝利を記念するものでもある。イエスはイコンのなかで永遠の死後生を得る。まるで死のただなかにこそある種の復活や栄光があるとでもいうかのように。去勢というこの分離、イメージに避けがたくまつわるこの「引き抜き」は、なにかを忘れ去るとともに記念するということでもあるのだろうか。 ↩︎
よみがえるということ、黄泉返るということ。この言葉はもちろん、日本のオルフェウス、イザナギの物語からきている。イザナギは、太古の窃視者として、イメージの秘密を知ったものとして、妻のみにくい姿をみてしまう。だが、ロトの妻のように塩の柱になるでもなければ、メドゥーサを見た人のように石になるのでもなかった。彼らはいわば自分が自分であると信じることができなくなった者たちのことなのだろうか。イザナギは幸運だったので、自分が自分であるまま、黄泉から返ることができた。だが本当にそう確信するためには、禊ぎをする必要があった。そして光の女神、つまりは視力の女神、アマテラスを産んだ。まるで悪夢を、自分のなかにある自分でないものを振りはらい、目を覚ました人のように。 ↩︎
『ドリアン・グレイの肖像』の主人公や『失われた求めた時を求めて』のベルゴットのように、この錯乱によって、アナクロニスムのなかに見いだされた死によって、人が実際に死ぬこともある。しかしそれはあくまで物語のだけでの話なのだ、といって片付けることはできない。イメージが死のあらわれであるのと同じ程度に、物語もそうなのだから。 ↩︎
この糸巻きのほかに、ラビュリントスをつくったのも、息子イカロスの羽をつくったのも、ダイダロスという偉大な発明家だった。 ↩︎
エルンストに比べると、ヘンゼルとグレーテルははるかに悲惨だった。この兄妹は、パンを——まるで命そのものを切り売りするかのように——ちぎっては落として帰るための道しるべとしたが、小鳥たちに食べられてしまい、森のなかの静けさに迷いこむ。まるで言葉を、語を、盗まれてしまったかのようだ。小鳥たちはディスクールを持たないが、第一にものを食べることができる。だからこそ彼らもまた小鳥たちと同じように、食べることのできるお菓子の家を森のなかの静けさに見いだしたのだった。「言葉は存在の家である」というハイデガーの言葉をここで思い起こすのもそこまで見当違いなことではないかもしれない。あるいはアガンベンはまた、次のように言っている。「動物たちは〔たとえば小鳥たちは〕言語活動が欠如しているわけではない。逆に、動物たちはつねに絶対的に言語である。動物たちにおいては、『純粋無垢な大地の神聖な声(la voix sacrée de la terre ingénue)』——これをマルラメはコオロギのうちに聴き取って、『単一の(une)』『解体されていない(non-décomposée)』声として人間の声に対置している——は、中断も分裂も知らない。動物たちは言語のなかに入りこむのではない。動物たちはつねにすでに言語のなかに存在しているのである」(『幼児期と歴史』)。この神聖な声のしずけさのなかで、ヘンゼルとグレーテルは魔女の殺害という母親殺しを実行する。言葉を取り戻すために。幼少期の沈黙を再びこえるために。しかし、それは幼少期 infantia の殺害という意味で、まさしく子殺し infanticide でもなかったのだろうか。兄妹を森に捨てた母親のもくろみは、この意味ではたしかに果たされたのだった。 ↩︎
遺伝性の眼病のために徐々に視力を失っていったボルヘスの言葉が思い返される。「そうだよ。君もわたしの年になれば、ほとんど目が見えなくなっているはずだ。黄色と光と影だけは、なんとか見分けられるがね。案ずることはないよ。徐々に盲になるのは悲劇じゃあない。夏の、ゆっくりした黄昏のようなものだ」(『砂の本』)。あまりにも幼いときにあまりにも短い期間で視力を失ったバフチャルが何をどう感じたかは誰もしらない。けれども、夏の黄昏というイメージ、ノスタルジーという原風景に透きとおるようなこのイメージ、夏の黄昏は、まるではじめから失われているようでもあり、一つの永遠、一つの果てしなさであるようにも感じられる。いつかどこかでつねに見ていたような、まるで前世の出来事のような、この強い既視感は「どこから」やってくるのだろう。「いつから」と問うことはできない。 ↩︎
彼女はフランス人だが、英語でメールを書いている。たがいに一度も顔をあわせたことがないのに、メールのやり取りがもう何年もつづいている。たがいの母国語でもない英語を使って、つたなく、暗号めいたやり取りをして。たがいに理解できているかどうかもほとんどわからずじまいのまま。暗やみのなかでモールス信号を送受信しているかのようだった。手書きの手紙が届いたことも何度かあったけれども、それがあまりに達筆な筆記体で書かれていて、ほとんど解読することができなかったので、ある種のカリグラムとして受け止めるほかなかった(ラヴェンダーの香りがしたのをよく覚えている)。それでもまだやり取りはつづいている。こちらがフランス文学を専攻しているものと彼女は信じていたので、とても大切なことを言いたいとき、どうしても英語で表現しようのないときには、ひかえめにもフランス語をつかう。辞書を片手にこちらがそれを解読する。本当に翻訳できたかどうかもわからないまま。そしてあるとき、大学の最寄り駅で女生徒がひとり飛びこみ自殺をしたことがあって、そのときの電車に自分はたまたま乗りあわせていた。このことを彼女にメールを伝えると(それが正しい判断だったかどうかは未だにわからない)、彼女はお悔やみの言葉をつらねながら、最後に、Peut-être qu’elle s’est emportée. と言った。「その子はついかっとなったのかもしれない」「我を忘れていたのかもしれない」。そんなふうに訳すこともできるが、フランス語の再帰動詞、s’emporter は「自分自身の命を奪う」のほか、「自分自身を運び去る」というふうに直訳することもできる。この暴力、自分自身を連れ去ってゆくこの飛びこみ、自分自身を主語と目的語とに分け隔ててゆくこの力は、まさしくイメージがそうであるところのものではなかっただろうか。かたやまだ生きているようで、かたやもう死んでいる。飛びこみという差延のなかに永遠のようなイメージの静けさが満ちている。 ↩︎
「自分にはヌードデッサンの経験はないし、人の体に触れることについて真剣に考えたこともなかった。しいていえば、盲人に触れるのはこわいような気がする。その人がそのときどんなふうに感じるのか、盲人がどんなふうな触覚を持っているのか、とても想像がつかないから。たとえば、ちょうどある種の統合失調症にかかった人のように。その人は、譬え話を使うのを好む(ちょうどナザレのイエスのように)。誤解やトラブルを避けるために、彼にはそういう骨折りが必要だったのかもしれない。というのも、自分の口にした言葉が、自分の言おうとしていたことと違ったふうに他人に受けとられてしまうのを恐れているから。自分の言葉が一人歩きをはじめてどんな効果を他人に及ぼすのか、とても想像がつかない。けれども例え話のなかに相手をとどめておけば、それが解釈の余地を生んである種の緩衝材になる。わかる人にはわかり、わからない人にはわからない、というような拒絶の手段にもなる。自分が本当に何を言いたいのかが時としてわからなくなることがあったとしても。」 ↩︎
本を読むのはなにより好きだと目の見えない友人が言っていた。点字図書館から毎週何冊のもの点字図書を取り寄せては小説を読んでいた。活字であれば一冊にまとまるものが何倍にもふくれあがるのだった。紙は真っ白で、点字の凹凸が謎めいた秘密の文字のように浮かびあがっていた。彼は二本の指先をうまく使ってほんとうに速く読むことができた。その一方で、新聞やマンガを晴眼者のように読むことができない。なかば視覚言語としてデザインされたものなのだから。 ↩︎
この言葉には盲人がそれを口にしたかのようなおもむきがあると思うのは自分だけだろうか。盲人に声をかけることさえためらわれることもある。ある年の梅雨のことだったか、夕方から大雨の降りつのるなかで、商店街の角先にたたずんでいる人を見た。片手に白い杖、もう片手に傘をさして、サングラスをかけた姿でこちらに顔をむけていた。大粒の雨が傘の曲面にはぜてゆく音、雨樋を流れてゆく水が泡立つような音、道行く人が水たまりをはじく音。いろいろな雨音が通りにみずみずしくあふれて、洪水のようになっていたからなのか、その人は白杖の先を足もとにさまよわせながら、たじろいで一歩も踏み出せずにいた。雨は耳を狂わせる。町中にあふれていたはずの音の輪郭が雨ににじんで煙立つようになる。そんなこともあるのかもしれないし、あの人はただ何か別のことで困っていたのかもしれないし、何も困ってなどいなかったのかもしれない。とにかく声をかけることもできずに、じっと立ち止まったまま息をのんで見つめていたことがあった。彼はまるで一輪の花のようだとどこかで思いながら。 ↩︎
異国の言葉、耳慣れない言葉は時どき、ふしぎと魔法めいた力でこころの琴線に触れてくる。マルコによる福音書(5章)では、イエスは死んだ少女のもとに赴く。そして冷たくなったその手を取りながら、アラム語だったかヘブライ語だったか、「タリタ・クミ」という。すると少女は立ち上がってまた歩きはじめたのだった。これは「少女よ、さあ、起きなさい」という意味だった。こうした呪術的な力は、文字にもやはり宿っている。聖職者をのぞけばほとんどの人がリテラシーを持っていなかった時代ではなおさらだった。文字はすくなからず神聖なものとして崇められていた。しかし現代においても町中にあれほどの外国語があふれているのを見るたび、リテラシーのかなた、文盲という暗やみのなかに、人は神秘的な力を感じるものと思う。 ↩︎
ラオダメイアという古代ギリシアの女性のことがここで思い起こされもする。彼女の夫は戦争に行くなりすぐ死んでしまった。彼女の嘆きかなしみながら、せめて三時間いっしょにいられるだけでもいいので夫を黄泉から連れもどしてほしい、と神々に祈った。その願いが聞き届けられると、彼女はよみがえった夫の腕のなかで自殺した。あるいは異説によると、彼女は自殺まではしなかったが、時間ではあまりにも少なすぎ、悲しみが癒えなかった。そこで彼女は夫に似せた銅像をつくらせ、夜な夜なそれを抱いた。ドアの割れ目から偶然その様子を垣間見てしまった召使いは、愛人を連れこんでいると思い、父親に事の次第をはなした。そうして部屋に駆けこんだ父親が目にしたのは亡き夫の銅像だった。娘の悲しみを終わらせるためと思い、父親が火をくべて銅像をそのなかに投げ入れると、彼女もそれを追って飛びこみ焼死をとげたのだった。 ↩︎
名という文字はうつくしい。それは「夕」の薄明のなか、「口」で告げ知らせるものなのだった。たそがれどき——誰そ彼どき——、暗やみに顔が翳ってこわいほど謎めいてゆくとき、普段から見知っていた人のことが急にわからなくなって途方にくれるとき、まるで迷子になってしまったようなとき、名前はふしぎな輝きのように、魔法めいた耳慣れない異国語のように響く。名前をいうことが、そのまま約束を果たすことであるように。自分は自分のままなのだ、あなたは絶対にまだそのことを覚えている、とでもいうように。生まれかわってもなお前世の記憶を忘れることはできない、とでもいうように。名前は、古い記憶として、つねに古名として、ふたたび到来する。 ↩︎
彼女は体験としてのイエスを見る。たとえば沖縄のある島では日の出の明かりのことを白い羽根(マジャパニ)と呼んで拝んだが、それは決して太陽の神格化ではない。神は体験のなかにこそ宿るのだから。神はそのような意味で形象をもたないし、触れることもできない。神は体験の暗やみのなかにただ輝く。 ↩︎
なんという名前の川だったのだろう。インターネットで——これは記録するかわりに決して記憶しない、したがって忘却もしない交通網であるけれども——調べると、だれかの書いた次のような詩句が目にとまる。a dark mythological river / whose name begins with an L as far as you can recall. ↩︎
「幼少期の経験はもはやそのものとしてはない」(Die Traumdeutung)といったのはフロイトだった。通称「ねずみ男」と呼ばれた強迫神経症の患者——彼はエルンストという名前だった——に対して、彼自身を苦しめる無意識こそ幼年 das infantile というものなのだとフロイトはあるとき言う。しかし、無意識もまた言語によって構造化されているというラカンの定式に従うのなら、これはアガンベンが言う意味でのインファンティアとは区別されなければならない。インファンティアとは、無言のこと、言語のかなたのことなのだから。 ↩︎
とはいえこの記憶システム、このマッチョイズムは、つねに不安のただなかにある。オデュッセイアをめぐる周縁的な記憶として、いわば異説のような後日談として、叙事詩『テレゴネイア』は物語−記憶というものの単一性を揺るがす。盲目のテイレシアスが預言したとおりオデュッセウスが必ずしも幸福な死をむかえるとはかぎらなかった。遍歴の途中で懇意な仲になったキルケーが、テレゴノスという私生児を身ごもっていたからだった。「テレ」という接頭辞がいまでも教えてくれるとおり、嫡子のテレマコスが「遠くで戦うもの」であるとすれば、この私生児の方は「遠くで産まれたもの」だった。テレゴノスは父親探しの新たな長旅 odysey をはじめ、たまたま些細な諍いが原因で、父親をそれと知らずに殺してしまう。ちょうど盲目になったオイディプスのように。そして、テレゴノスがペネロペイアと結ばれ、テレマコスがキルケーと結ばれるというふしぎな結末で終わる。まるでペネロペイアとキルケーの同性愛を暗に仲介するような交錯の末に。いわゆる抑圧されたものの回帰がこうして果たされる。この交通、性と物語素の情報処理によって、家父長制という記憶システムが変容するとともに、オデュッセイアそのものの単一的な記憶もまた瓦解する。それは記憶殺しであるとともに一つの記念でもあるような父殺しだった。 ↩︎
イエスは反対に自分が何者であるかをよく心得ていた。イエスは決して記憶喪失を起こさない。ヨハネによる福音書(8章)では「あなたはだれなのですか」と人々がイエスにたずねる。するとイエスは「わたしが何者であるかははじめから言っているのではないか」と答えた。彼はそのすこし前に「わたしは世の光である」と言っていたのだった。しかし新宮一成の『ラカンの精神分析』によれば、この「はじめから」には「始原」という響きがこだましているという(ギリシア語版ではアルケー ἀρχὴ と標記されている)。始原、アルケーは、クロノロジカルな意味でのはじまりとは異なる。それは記憶ならぬ記憶のことだ。アガンベンによれば「アルケーは歴史の生成と同時代的であり、歴史の生成に常に作用しつづける」(『同時代人とは何か』)。 ↩︎
ちなみに、というべきか、隻眼は鍛冶屋の職業病だと言われてきたが、キュクロプスはまさに鍛冶を生業とする種族だった。 ↩︎
Plato. Alcibiades, 133B. 当該箇所の少し前には鏡の比喩とともに「目はみずからを知るのにひとの目をのぞきこむ」とある。瞳とは、ひとがみずからを知るための鏡、人見なのだった。 ↩︎
しかし本当のことを言えば、「ジャン・マリア・ヴォロンテの思い出のなかで/を偲んで in memory of」というキャプションが一番はじめに入る。撮影中にこの俳優が亡くなったために。監督のアンゲロプロス自身は、それから十八年後の2012年、同じく撮影中にギリシアで亡くなっている。この文章はアンゲロプロスの思い出のなかで書かれた。 ↩︎
彼は国境をこえるために、艀船に乗りこんでドナウ川を下り、密入国まがいのことをする。この艀船はキュクロプスのようなレーニンの巨像の残骸を運んでいた。ところが日の落ちたころ、真っ暗な川の関門でとめられ、「だれものっていないのか」と国境警備隊に詰問される。すると船長が「だれもいない Nobody」と答えたのだった。彼はオデュッセウスとくらべてはるかに受動的だった。何者でもないということが、まず他者の口から告げられる。 ↩︎
たとえば、福音書の物語において、イエスは譬え話によって語るのを好んだ。しかしまた、イエスそのひとが真理そのものである神の譬えでもあった(「わたしは道であり、真理であり、命である」「わたしを見たものは父を見たのである」John 14)。ナンシーはこう言っている。「ここでは真理それ自体が譬喩的[parabplique]になる。つまり、ロゴスはフィギュール[形象=文彩]あるいはイマージュと区別できなくなる。なぜなら、真理の本質的内容はまさしく、ロゴスが自らを形象化し、自ら現前し、自らを表象=再現前化するということ、さらには不意にやってくる人物のように、そして自らの姿を示し、自らの姿を示すことでその形象の原型を示す人物のように、自らの到来を告げるということにあるからだ。」したがって福音書の物語もまた「解釈すべきテクストとしてと同時に、真実の物語として提出されることになり、ここで真理と解釈は、互いに、そして互いをつうじて、同一のものとなる」(『私に触れるな』)。映画もまたそのようなものだった。 ↩︎
ここではどうしても取りあげることができなかったけれども、このことを考える上でマンガ『おやすみプンプン』が大変参考になる。 ↩︎
なんという名前だっただろう。ふいにかつて訪れた川の名前を思い出す。まだ幼かったころに家族旅行で行った川。インド北部を流れる川、ヤムナ。サンスクリット語で「ヤミ Yami」と呼ばれる女神の川でもある。闇という言葉の一つのはじまり。一つの支流。黄泉の語源でもある。ヤミは最初の女性だった。ナラカ(奈落)に住まう死の女神でもある。 ↩︎