はとのことが生まれつき好きだった。幼年を過ごした名古屋市昭和区の2Kのコーポでははとがよくベランダに降りたった。赤ん坊の私はその姿を見るたびに並々ならない興味を示したらしい。生まれてはじめて口にしたことばが「ぽっぽ(ぽおぽ?)」だったという。パパでもママでもない。生粋のはと好き、はとっ子だった。そんな自分は、はとのことをハトとカタカナで書くのに抵抗がある。イヌやネコのような動物としての概念を話すならたぶんハトと書く。けれども、ひらがなに開かれた「はと」がいちばんしっくりくる。読みにくいとは思うけれど。ふくよかで不潔な感じがよく出ている。
あの不潔感は人間との距離感から来ているのかな、と思うことがある。そこはかとない近しさを感じ、それと同時にそこはかとない嫌悪感を抱いてしまう。そういうところをくるめて好きだった。高校に行かずに詩を書いてばかりいたときには公園で弁当を食べながらはとへのささやかな讃歌を書いた。いまでも生まれ変わったらはとになりたいと思う。ただ、欲をいえば、ドバトではなく、モリバトになりたい。
私の暮らすストラスブールの町にはその二種類がいるのだった。フランス語ではPigeon bisetとPigeon ramierになるのかな。後者のはと、つまりモリバトには、ドバトのようなずうずうしさがない。人間のおこぼれによりかかるようなライフスタイルではなく、自分たちでつつしみのある暮らしを守ろうとする。首を前後させながらよちよち歩み寄ってくるということもなく、日中はしずかに梢から梢を渡り歩いている。巣作りも街路樹の上でする。きっとひとつひとつの木に縄張りの網の目があるのだろう。ドバトには踏みいることのできない世界なのだった。
ドバトの暮らしは人間に似ている。特にみさかいもなくコロニーを作ってしまうところが人間的だ。二つの世界はゆるく重なりあっている。ドバト特有の厚かましさや何の気のなさのなせるわざなのか、道を歩いていてもふりかえればはとがいる、ということが往々にしてあるような。かくいう私もマンション暮らしのなかで日常的にドバトとの共存を強いられているのだった。フランスでは一般的にマンション暮らしのことをよく思う人は少ない。マンションを指す一般名詞のTour(タワー)という言い方には侮りがこもっている。アジアではよくあるようなコロニーのせせこましさからフランス人は貧しさを嗅ぎとってしまうのかもしれなかった。
たしかに住宅地の一角での私自身の暮らしにも心細くなるようなつましさしかない。ベランダに出るとむかい側にもよく似たタワーが立っている。まっすぐに切りそろえられたその屋上にドバトたちの一群が横並びにとまっている。ちょうどそれと同じような光景が、私自身の真上、私自身のタワーの屋上でも広がっているのを知っている。目視はできないけれど、音でわかるのだった。ぐううるる、ぐううるる、とドバトが鳩胸をふくらませて鳴くのが聞こえてくる。モリバトが木々を渡り歩くように、ドバトはマンションの屋上をモモンガを思わせる動きで行き来している。縄張り争いのためなのだろうか、一点張りの五月鳩さで低くうなりつづける、ということが毎日のように繰りかえされている。人間からすれば、たがいによそ者同士の分際でなにを、である。けれども、よく考えてみたら、このタワーの持ち主、地球の一角にあるこの空間の持ち主は自分たちである、と思いこむのがそもそもの誤りなのかもしれなかった。
ドバトたちは、人間の生活の虚を突くようにして、たびたびベランダに降りてくる。ドバトには生きる才覚がある。世界の間隙を忍耐強くうかがいその隙間に存在の活路を見出すことができる。勇気がある、ということなのかな。それを愚かだとは言いたくない。私のアパルトマンの北側と西側にある二つのベランダにも何度となく降りたっては巣作りをこころみてきた。長くなるので書けないけれど、そのたびに様々な工夫をこらさなくてはいけない羽目になり、たいていそれがイタチゴッコ化することになったのだった。
卵はすでに三度も産みつけられていた。一度目はウクライナでの戦争がはじまり、首都が包囲されたころのことだった。北のベランダの片隅に申し訳程度に二、三の枝が置かれていたことがあり、それだけならと油断した。その翌朝には、そこに卵があった。虚を突くように白かった。それがただ、世界に紛れこみ孵化までの時間をやり過ごすのにふさわしいような灰色だったのならよかった。その装われた何気なさに苦笑いをしながらいまいましく思うこともできた。けれども、この世界にすでに存在して生を営んでしまっている親たちの姿かたちとは対照的に、卵そのものにはすこしも不潔感がないのだった。ただただ白かった。「しろい」とはもともと著しい、つまり際立っている、という意味だけれど、ドバトの卵はなぜ、そんなにも目立つ色をしているのだろう、とふしぎに思った。そう思いながら、それをつまみ上げ、ゴミ箱に捨てた。
五月は卵刈りの季節なのだった。このフランスのかたすみの町にも五月晴れがある。雨がちな日本と違い、ストラスブールの夏は大波の押しよせるように深まってゆく。ただただゆるやかな迷いのない線が伸び、大きな台地の広がりような夏の盛りを迎える。それにつれて、空が青ざめてゆくのが分かる。白昼にさえ、宇宙の星々の輝きをその深まりのなかで感じとることができる。はとの白い卵たち。青ざめた空の下でつぎつぎと孵化しては飛び立ってゆくやわらかなものたちがいる。その一方で、飛びたてずに潰える無数の魂もある。
今朝も西のベランダの鎧戸をあけたら、それに驚いたはとが飛びたっていった。ズッキーニを植えたプランターの中にうずくまって五月のなまぬるい一夜を過ごしたのだろう。葉陰に白い卵があった。触れると、あたたたかった。そのぬくもりを感じとることのできる人間の指先。鋭く走る痛みを感じとることもできるその指先。その指先にあるやわらかな魂の震えが痛ましく、その痛ましさから一日をはじめなければならないこと、自分がはとではなく人間であること、空の深まりにむけて羽ばたくことさえできないのが苦痛でならなかった。