今年の西方教会の復活祭は4月17日に祝われました。ブルターニュのベシュレル(Bécherel)という小さな村では、毎年恒例のブック・フェスタ、Fête du livreが開かれました。今年で32回目になります。ベシュレルといえばBescherelleという文法書を思い浮かべる人もいるかもしれませんが、つづりも違うし、たぶん無関係です。それでも、その高名にあやかって……ということだったのか、1989年以来、本の力で村おこしを試みてきたのでした。東京でいうところの神保町みたいな村、古本屋の立ちならぶ村ですね。

ところで、本屋というものはかなりの身体的な疲労を伴う場所だと前々から思うのですが、漢字や仮名ではなくラテン文字で書かれた本を漁るとなると苦痛は倍増します。というのも、書籍の背にかかれたタイトルを読むには、首を左右のどちらかに傾げなければならないからです。ベシュレルには様々な素性の本が集まってきているので、右むきのものもあれば、左むきのものあり、それらがたいてい所狭しと入り乱れている。そんななかで絶えず体や首の向きを変えつつ蟹歩きの移動をする。想像しただけで気疲れしますが、本漁りのコツでもあるのか、現地の人間はそういうことを全然苦にもしない様子なんですね。

いずれにしてもあまり本に関心のない私は、村はずれの空き地にひだまりを見つけ、昼寝をしていたのでした。Massage sonore(音感マッサージ)なるものが折よく催されていて、昼寝にはおあつらえむきのキャンプチェアが用意されていました。しかもヘッドフォンまで備えつけられている。チェアの背後にはエレキギターの奏者と朗読者がいたのですが、彼らの演奏がヘッドフォンを通して聴ける仕組みになっていたのですね。おかげさまで、ぬくぬくと眠りこむことができました。風のない日でした。日だまりのぬくもりだけが温かい。しかし、春のブルターニュはひとたび日が陰っただけで、急に肌寒くなるものです。目を覚ましたときには、すでに日だまりは遠のいていました。ちょうどそのとき、注意を引かれたものがあります。

ブルターニュにも桜は咲きます。その空き地にも桜が咲いていました。その桜の枝を掴みよせてしきりに揺する人影がありました。そうして花吹雪を起こしている。はじめにこみ上げたのは深い怒りでした。なぜこんなにもうつくしい花の寿命をむやみに縮めるような真似をするのか。そう考えたそばから答えは出ていました。花の舞う日だまりのなかで男の子がもろ手を空に伸ばしてぴょんぴょん跳ねている。一点のくもりもないような笑顔。それを見たいがために男は花をいたずらに散らし、男自身もまた破顔しているのでした。そういう残酷なところを見るのは嫌いです。だから、ふたたび目をつむり、今度は体をこごめるようにして不貞寝をしました。うまく寝付けませんでした。次に目を開いたときには父子の姿はもうどこにもありませんでした。