のなみゆきひこ

noraco という反戦・反資本主義運動にかかわっています。

生きのびるための改名⎯⎯統一教会の二世が東京家裁に氏名変更の申立をした経緯

私は統一教会の二世です。信者たちが組織的な生殖行為に加担させられることよって生を受けた者です。山上徹也さんのように生後になってから親に連れられて入信した「信仰二世」との差別化をはかるため、教団の内部では「祝福二世」とも呼ばれています。あるいは「神の子」ともいいます。 2024年12月12日に共同通信やNHK総合によって報じられたとおり、私は今年の夏に帰国後、東京家庭裁判所に氏名変更の許可を求める申し立てをしました。申し立てが受け入れられる公算は決して高いわけではありません。とりわけ氏の変更にはさまざまな困難が伴うことになるでしょう。それでも今回の申し立てをしたのには、それなりのわけがあります。 個人的には、教会によって与えられた氏名を名乗ることに耐えがたい苦しみを感じている、というのが理由のひとつです。この氏名のために何度となく自殺をしたいと考えてきました。一方、それとは別に、そもそもこの自分たち祝福二世とはいったい何者なのか、ということを今回の申し立てをとおして自分なりに明らかにしたいという思いもあります。これはなにより、同じ苦悩を抱えこんできた神の子たちへの呼びかけでもあります。統一教会問題にたずさわる司法関係者や医療従事者、メディア関係者だけではなく、なにより同じ二世にむけて書かれています。 そこで、祝福二世という存在をめぐるひとつの問いから話を起こしてみたいと思います。それは、祝福とは呪いのことではないのか、という問いです。呪術的なものから縁遠くなってしまった現代においては、きっと奇妙に感じられることでしょう。それでもたしかに、祝福二世には呪いと呼ぶほかないものがかけられているような気がするのです。ひとことで言うと、自分を生みだした教義に背こうとすればするほど自殺するほかなくなるという呪いです。2024年11月26日の記者会見の折にも述べましたが、実際、これまで多くの祝福二世がどこまでも透明な存在になろうするあまりに命を絶ってきました。今後も、安倍晋三銃撃事件によって引き起こされた衝撃の余波のなか、統一教会への解散請求をめぐる動きのなかで、自殺者が出てくることになるでしょう。 この呪いはもちろん、ファンタジーの世界で描かれるような神秘的な力などではありません。そうではなく、それは物語の力です。物語とは、とても簡単にいえば、言葉によって形作られた現実のことです。これから、その圧倒的な現実がいかなるものなのかについて述べます。まずはその足がかりとして、統一教会の教義を簡単に紹介させてください。 統一教会の教えと実践、その結晶としての神の子 統一教会の教義の核心にあるもの。それは「復帰」という考え方です。復帰とは、神の意志に背いて繰りかえされてきた人類の歴史の失敗をやりなおすということです。失敗の形はさまざまですが、その最たるものは、神を中心とした家族作りの失敗です。教会によれば、神は「真の家庭」を築くための男女として、アダムとエバを創造しました。ところが、エバはサタンと不義の交わりをすることで血を穢してしまう。さらにその体でアダムと交わり、穢れをある種の性感染症のようにうつしてしまう。穢れは原罪として子々孫々に伝わり、そのために人類は一度たりとも神を中心とした真の家庭を築いてこられなかったといいます。 教祖の文鮮明は、そんな歴史の失敗の巻き返しのために遣わされたメシアを名乗りました。ここでは復帰のことを英語で「リバーシー」と訳してみてもいいかもしれません。あるいは「オセロ」という類似のボードゲームのことを思い起こしてもいいでしょう。というのも、エバとサタンとの交わりが穢れの発生源であるのなら、今度はメシアとの交わりによってそれを打ち消し、血を浄めることができる、と考えられているからです。そうしてある種の血清を得た女たちがほかの男たちと交わることで、いわば正の感染爆発パンデミックが起き、人類全体の血が浄化されてゆく。そして、そんな男女たちが産みだした子は、メシアのように生まれつき原罪がないとされています。以上の考え方に基づいた組織的な生殖行為の実践はかつて「血分け」と呼ばれていました。 血分けは現在、あからさまな形では行われていません。そのかわり、それを象徴的な形に置きかえたものがあります。それが「祝福」です。世間では「合同結婚式」の名で知られているものです。祝福を受けた男女の信者は、指定された体位での生殖行為に手をつける前に「真の御父様」であらせられる文鮮明の血と愛の象徴が溶かしこまれているとされる聖酒を飲み、さらにはそれを体の各所に塗って身を浄めます。そうして象徴的にメシアと交わり、メシアの所有物になった上でこそ、真の家庭を築くことができると考えられています。 ここで押さえておかなければならない点があります。祝福二世というのは、合同結婚式に参加した男女がたまたま結果的に生むことになった子供ではない、ということです。そうではなく、家族作り、子作りこそが信仰生活の最大の目標だということ、だからこそ信者による生殖行為が組織的かつ意図的に実践されているということ、そのような実践の確かな成果物こそが、いわゆる祝福家庭であり祝福二世であるということです。 以上のことから、祝福二世が神の子と呼ばれていることの意味も明確になってきます。それはつまり、世俗的な意味での家族の子、人の子ではない、ということです。祝福二世はなにより、統一教会という神を中心とした大家族を構成する兄弟姉妹のひとりであり、文鮮明という現人神の赤子だということです。 このような大家族主義的な考え方は、一世信者とその肉親との関係を損なってきたものでもあります。特に1960年代から80年代にかけて入信した一世たちの間では、教祖こそが真の親、教会こそが真の家庭であり、肉親は穢れた俗世界にとらわれた偽りの親である、と考えられてきました。統一教会は英語圏では「文」という教祖の姓にちなんで「Moonies」つまり「文の一族」と呼ばれることがありますが、まさにこの大家族主義を端的に示すものです。世代が下ることになっても、それが今度は一世信者と二世との間の親子の絆を否定してゆくことになります。教会の言葉を使えば、信者たちの肉体はあくまでも「神の愛の王宮」にすぎません。そこで信者たちはある種の産む機械となって子作りに励むことになりますが、その結果生みだされてきた子は真の御父様の穢れなき血を引くものだと考えられています。 ところが、この大家族主義はまさにそれが組織的であるがゆえにひとつの重大な歪みを抱えこむことになります。それは、真の御父様は、子供たちに絶対的な愛と服従を求める一方で、現実の子育てに関与するわけではない、というものです。この非対称性の結果、現実においては、真の親の不在の家庭が生まれます。そこにいるのは一世も二世も含めた神の赤子たちだけです。それこそが合同結婚式によって組織的に作りだされてきた祝福家庭の内実です。人によっては、そこに天皇による人間宣言によってはじまった戦後という父なき時代の反映を読みとることもできるかもしれません。天皇は偽りの父であり、日本は偽りの国家なのだという嘆きもかすかに聞こえてきます。このことを祝福二世の目線でとらえると、彼らは世俗的な意味での家や親を奪われたみなし子の生、真の御父様からは遠く隔てられた生を与えられることになります。個々の事情はさまざまに異なりますが、基本的にはこのような実存の状況が現実に組織的に生みだされてきたといえるでしょう。 こうした状況を文字通り祝福ととるかどうかは、二世次第です。とはいえ、統一教会が反社会的で悪質な組織とみなされており、実際に無限の自己犠牲を信者に要求することでその生活を破壊してきた以上、祝福二世がなんらかの不遇を強いられることになるのは間違いありません。ときには不遇を信仰の力によって祝福に転嫁できるような場合もあるかもしれませんが、多くの二世は不遇から逃れ、自分自身の生を切り開こうとします。彼らがみずからにかけられた呪いに気づくことになるのは、まさにそのときです。 そこであらためて、祝福二世にかけられた呪いとは何かという問いに戻り、そのメカニズムを明らかにしなければなりません。 壮大なはったりによって組織的に生みださるということ 呪いとはなんらかの神秘的な力のことではなく、言葉によって現実を形作る物語の力のことである、と先に述べました。ここではそれを、騙りの力、でっちあげの力、ペテンの力と言いかえることもできます。英語では「トリック」と言えるでしょうか。ペテン師のことは「トリックスター」と言ったりします。日本語には「鷺を烏と言いくるめる」といった表現があるように、トリックスターは物事を逆転させることを得意とします。 トリックスターの一例として、シェイクスピアの悲劇『オセロ』の登場にするイアーゴという男を挙げることができるでしょうか。ちなみに、オセロというのは、物語の主人公であるヴェニスの軍人の名前です。彼が黒人であるのに対してその妻のほうは白人であることにちなんだのがボードゲームのオセロなのでしょう。あらすじをひとことで言えば、オセロが妻を殺した挙げ句に自殺する、という話です。なぜそんなことになってしまうのかというと、オセロが腹心のイアーゴにありもしない作り話を吹きこまれたからです。いわく、あなたさまの妻はあなたさまに不義をはたらいております、と。オセロはそこで嫉妬にかられて妻を殺します。オセロは生真面目ゆえに、物語を真に受け、丸めこまれてしまうのです。そしてついにはみずからの命まで絶ってしまう。それがトリックスターによる騙りの力です。 統一教会の教祖である文鮮明もまた、すぐれたトリックスターでした。王位につくためには奴隷の身にもならなければならない、という若いころの発言にもよくあらわれていますが、文鮮明は二つの極をさまざまに設定した上で、それを反転させる術を心得ていました。そしてその十八番こそ、前述の「復帰リバーシー」なのでした。トリック自体はとても単純なものです。 文鮮明はまず、われわれ神の側とサタンの側という線引きをします。次に、この世界のあらゆるもの(万物)はサタンに奪われているとします。そして、それをわれわれ神の側に取り戻すこと、黒く塗りつぶされたオセロの盤面をすべて白へと反転させることこそがメシアの使命なのだとします。では、そのためにどんな実践が必要なのかといえば、この自分とのセックスということになります。この大ぼらに神学的な信憑性を与えるため、文鮮明はまず、サタンとエバとの呪われた交わりのエピソードから話を起こし、忌まわしい現状の青写真となるようなひとつのネガを用意します。その上で、その極となるポジティブな世界線としてメシアとの性交を提案する、という流れです。このようにある種の蝶番となって世界の反転を担う者こそがトリックスターなのです。 統一教会の一世は、トリックスターによる煽りを真に受けてしまった者たちだと言えます。トリックを解消するには脱洗脳デプログラミングの手続きを踏むことになります。信者はその過程で、神とサタンという二分法に丸めこまれるままに世界を単純化するのではなく、世界をありのままの複雑なかたちで見ることを受け入れることになるでしょう。このこと自体は単なる発想の転換の問題にすぎません。そこで詐術に気づいた末、元の世界に「再復帰」することができればそれでいいし、それができず、シェイクスピアのオセロのようにみずからの命を絶つようなことがあれば、それは単なる悲劇ということになるでしょう。事態が込みいるのは、でっちあげを吹きこまれるままにひとりの人間を現実に生みだしてしまったとき、つまり物語の命じるままに祝福を受けた男女が子作りをするという喜劇的なハッピーエンドをむかえてしまったときです。 神の子がある種の喜劇の渦中に生みおとされるということ。たとえそれが一世にとっては受難に満ちた信仰生活のひとつの目的エンドだったのだとしても、二世にとっては覚めない悪夢の始まりにすぎません。悪夢のなかで、あなたは神の子なのだとささやかれつづけます。そして、俗世はサタンの穢れに満ちているので、決して神様の庇護の外には出てはいけない、と命じられます。しかし、それでいて、肝心の父なる神はどこにもいらっしゃらず、神の子たちが神への愛の結晶として生みだされ、息をしていることにさえ気づかない。それゆえに、多くの祝福二世はみずからの不遇のなかで、やがて自分たちを丸めこんでいる力に気づかされることになります。 おかしいのは俗世ではなく、わたしたちのほうなのではないか、という疑問がよぎります。疑問を突きつめてゆくと、清らかな血を引いた神の子とされる自分のほうこそ、おぞましい化け物なのではないか、という思いにもさいなまれることになるでしょう。元古参信者のひとりが出版した『六マリアの悲劇』という暴露本の副題「真のサタンは文鮮明だ」が物語っているように、メシアというのは、エバと交わったサタンを反転させることによってなりたっています。それを再反転させれば、鷺が烏になる。結局のところ、オセロの石には白と黒の両面しかない。白でなければ黒になり、黒でなければ白になる。両者のあわいになるようなグレーゾーンがないのです。 それこそが祝福二世を苦しめる呪いです。それはつまり、いずれにしても自分自身は普通の存在ではありえない、という呪いです。自分が何者かであるとすれば、鷺のように清らかな神の子か、烏のように穢れた化け物になる。そのどちらか以外の何者にもなりえない。というのも、一世には帰るべき場所があり、再復帰すべき「普通」があります。それに対して、祝福二世は生まれながらにそのような場所をはじめから奪われています。なぜなら、人生のどこかの段階で詐術に丸みこまれたのではなく、そもそもみずからの家庭環境やみずからの肉体そのものが詐術の結晶にほかならないからです。そんなはったりを否定することは、みずからの存在の否定を招いてしまうのです。 ここまではこのように言葉を重ねることによって、祝福二世のおかれた実存的な状況について述べてきました。すでに明らかなように、統一教会の教えを踏まえ、それがある種の呪いや物語として作用しているということを理解することなくして、祝福二世の苦しみの所在は見えてきません。とはいえ、祝福二世にかけられた呪いをとても端的な形で体現しているものもあるのです。それこそが祝福二世に与えられた氏名です。 氏名という呪い、あるいは愛の紐帯 氏名は、近代の典型的な「家庭」、すなわち性愛によって結ばれた異性(ないし同性)とその子供たちを核とする世帯において、親から子に与えられる最初のものです。氏名を与えられるということにはさまざまな社会的な働きがあり、現実にさまざまな帰結を伴います。そのひとつに数えられるのは、子供の子供としてのアイデンティティのよりどころになる、というものです。ようするに、氏名をとおしてこそ人はだれかの子供でいられるのではないでしょうか。 子供は人生のどこかで「自分は何者なのか」という問いに直面することになるかもしれません。氏名はそこにさしあたりの答えを与えてくれるものであり、そもそもそのような孤独な問いを抱いてしまうことから未然に子供たちを遠ざけてくれるものでもあります。 自分が◯◯家の一員の◯◯であるということ。多くの場合、それは子供にとってポジティブな意味を持ちます。というのも、子供はしばしば両親の愛の結果として、さらには個人の幸せを願われた愛の対象として、世界に生まれおちてくるからです。そのような存在としての〈子供〉が発見されたのが、そもそも近代という時代なのです。子供の発する「自分は何者なのか」という孤独な問いが愛によって報われる時代です。 そんな時代において、子供が両親(あるいは、そのどちらか)と同じ「氏」を持つということは、言語学的な観点においても、みずからが帰属するひとつの「ウチ」を持つということでもあります。日本語において、よその家の人は基本的に氏によって名指されます。たとえば、近所にフグ田マスオという人が住んでいたとして、その人のことを「マスオさん」ではなく「フグ田さん」と呼ぶからこそ、その人が自分のウチの外にいることが明確になる。なぜなら、近代社会の伝統においては、同じウチの者は同じ氏を共有しており、そうである以上、同じウチの者が氏によって名指されることはなく、それゆえにこそ、氏で呼ぶということが部外者の印になるからです。 同じウチの者同士の呼称に関して、やや特別な規則があります。それをひとことで言うと、年少者は年長者によって名指される(たとえば、姉が弟を「カツオ」という名で呼ぶが、弟は姉を名指せない)というものです。多くの核家族においては、まず「パパ」や「ママ」、あるいは「お父さん」や「お母さん」をかたる年長者がいます。そして、その対になるものとして、子供はたとえば「のび太」として名指されることになります。つまり、近代の日本語において、親から与えられた名というものは、いかなる文脈からも切り離された固有名としてあるのではなく、なによりも親族の呼称の体系のなかに居場所が与えられているということです。そして「のび太」という名であれば、そこにはきっと、のびのびと育ってほしい、といった願いでもこめられているのでしょう。愛は切なる願いの形をとり、名がその結晶となります。このように、近代的な家庭において、氏名は子供の子供としてのアイデンティティを支える上での重要な役割を果たしています。 以上のことを踏まえると、統一教会がいかなる時代錯誤をしているのかということ、それがいかに祝福二世を苦しめているのかということが見えてきます。前述した統一教会の大家族主義は、異性(ないし同性)間の性愛や親子間の家族愛を核にして成りたつような「家庭」を偽りとして退けます。つまり、統一教会のいう復帰とは、近代的な家族観の否定のことでもあるのです。それはあらゆるものを真の御父様を中心とした一つの家の屋根の下に組みいれようとします。歴史的には、それはかつての日本で喧伝されていた八紘一宇という儒教思想の焼きなおしということになります。 そんな統一教会が組織的に行ってきたことがあります。祝福家庭に生みおとされた神の子への名付けです。生みの親には命名をさせない。そうすることで世俗的な親子の紐帯に楔を打ちこむことができます。そこではさらに、あらかじめ定められた漢字が用いられることによって、同じ大家族の兄弟姉妹のひとりであるという烙印が押されることになりました。ここでは一例として、1982年の合同結婚式でできた祝福家庭における名付けを見ておきましょう。公称では六千組の男女が参加したということから、彼らは「六千双家庭」とも呼ばれています。統一教会のウェブサイトに掲載されている命名文字一覧によれば、その子供たちの命名には下記の漢字のうちのいずれかを使用しなければならないことになっています。 男子:福、秀、興、孝、聖、国、権、顕 女子:佳、仁、誉、情、香、蘭、多、利、思 これらの漢字は真の御父様の近親者の名にちなんだものであると考えられます。メシアとして血分けの実践をしてきた真の御父様に多くの隠し子がいることは間違いありませんが、父として正式に認知した子供は下記の十四名ということになっています。 文孝進(長男、洪蘭淑と結婚)、文興進(次男)、文顕進(三男)、文国進(四男)、文権進(五男)、文栄進(六男)、文亨進(七男) 文誉進(長女)、文恵進(次女)、文仁進(三女)、文恩進(四女)、文善進(五女)、文妍進(六女)、文情進(七女) 六千双家庭に生まれた祝福二世たちは、たがいに兄弟姉妹として同様の漢字を共有しているだけではなく、文鮮明の子供たちとも共有しているということになります。文鮮明の子供たちは真の子女の鑑であり、祝福二世はその似姿コピーであることが求められてきましたが、実際、薬物中毒や家庭内暴力、自殺、事故死といったスキャンダルの数々が報じられてきた真の子女と同様、祝福二世の多くが機能不全の家庭のなかでさまざまな困難を抱えてきたことは間違いありません。 では、これらのことはいったい何を意味するのでしょうか。繰りかえしになりますが、それをひとことで言えば、祝福二世は生みの親の子である以前に文鮮明の子である、ということです。つまり祝福二世は、合同結婚式によってできた祝福家庭に生まれながら、祝福家庭の子ではない。みずからがその氏を名乗る家庭の一員でありながら、そうではない。だからこそ、祝福二世は生みの親を「お父さん」や「お母さん」と呼びながらも、文鮮明のことを「真の御父様」と呼ぶことになるのです。このダブルスタンダードにこそ多くの祝福二世が直面しつづけてきた矛盾の核心があります。 ここでは「真」という形容表現がひとつの詐術として機能しています。「真」の裏には「偽り」があります。文鮮明こそが真の家庭の真の御父様であるからこそ、そのコピーである自分たちの家庭はすべて偽物であらざるをえない。このような板挟みの状況を端的に示しているのが、氏と名の不協和です。あるいは、神の子は氏名から二重に疎外されているといってもいいかもしれません。 第一に、教義においては真の御父様の血を引く者であるにもかかわらず、「文」を名乗ることが許されず、偽りの氏を名乗らされているということ。第二に、それとは反対に、現実においては偽りの家で暮らしているにもかかわらず、組織によって与えられた神の子としての名を名乗らされているということ。これらの矛盾のなかで、氏と名が噛みあわないままたがいの「真らしさ」を損なうことになります。 祝福二世においては、このことが「自分は何者なのか」という問いに答えることを著しく困難なものにしています。すくなくとも近代的な意味での愛によって、すなわち世俗的な家族からの解答によって、問いが報われることはありません。というのも、祝福二世は性愛の結果として生まれてきたわけでもなければ、親子愛の対象として生まれてきたわけでもないからです。では、何のために生まれてきたのか。何を原因として、また何を目的として、生まれてきたのか。この問いには、はじめから非近代的かつ明確な答えが与えられています。神の子は、真の御父様への愛のために、その結晶として生みだされてきています。ところが、現実には、その真の御父様から見放されている。真の御父様はそもそもそんな子供たちが彼への絶対的な愛と服従のために生身の体を持って存在し、息をしているということさえ感知せずにいます。 自分は神の子である、とみずからを詐術によって言いくるめることができなくなったとき、祝福二世の「祝福」は「呪い」へと反転します。山上徹也さんのような信仰二世であれば、自分は何者でもあるのかという問いに答えることはそう難しくないでしょう。さしあたりは、自分は山上家の子である、とか、自分は徹也と名付けられた者である、という答えが与えられるはずです。そうして、世俗的な性愛や親子愛を生の根拠とすることができるはずです。まさにそれゆえにこそ、山上さんはみずからの帰るべき場所を崩壊させた統一教会への怒りを抱くことができたのでした。 祝福二世には、自分がなによりも普通の「人の子」であるという答えははじめから選択肢にありません。みずからの生の根拠が教義の実践のなかにしかないからです。したがって、自分が神の子でもないとすれば、さしあたり自分は化け物であるか、さもなくば自分は何者でもない、ということになります。人の子であるということ、人として矛盾なく名乗ることのできる氏名があるということは、すでに自分が何者かであるということですが、祝福二世にはそれがありません。 ここには祝福二世に直面しているアイデンティティの問題があります。これは、いわゆるアイデンティティ・ポリティクスをめぐる議論とは異なっています。つまり、なんらかの当事者性や被害者性が問題になっているわけではありません。そうではなく、祝福二世にとって、アイデンティティは文字通り、自分は何者なのかという問いの困難としてあらわれています。この問いには答えがありません。祝福二世が訴えるべき被害があるとすれば、まずこの「ない」ということ、その身も蓋もない貧しさにあります。「ない」ものは見えませんが、祝福二世はたしかにそんな不可視の欠如にさいなまれています。 神の子にかけられたこの呪い自体は、組織的かつ構造的なものです。しかし、呪いへの対処の仕方はさまざまです。 私はといえば、氏名を変更することにしました。これはたまたま私が長らく日本を離れていられたこととも関係があります。私はフランスで暮らしていたのですが、そこで自分の氏名がアルファベットで表記され、フランス語風に発音されることが、私にとっての救いでした。日本にいたころとは別の自分自身を生きているような気持ちになれたからです。ところが、日本に戻ってきた途端、自分の氏名が呪術的なほどに生々しい漢字の表記を伴っていることに思いあたりました。そして、新しく出会った人に自分の姓を名乗り「◯◯さん」と当たり前のようにその姓で呼ばれるたびに胸が疼きました。なぜなら、それはなにより私にとっては祝福家庭の一員であることの印であるからです。その一方で、ひさしぶりに生みの母親にあたる女との再会をしたときには「◯◯くん」と下の名で呼ばれ、そのことにも強い不快感を覚えました。下の名で人を呼ぶことはその人を身内呼ばわりするということですが、その名もまた、私にとっては統一教会という大家族の一員であることの印でもあるのです。かといって女が私のことを「◯◯さん」と氏で呼ぶことはできない。祝福家庭の一員である彼女自身の氏と同じものでもあるからです。そのように考えると、今の私はこの社会において、さしあたり無名の人間になるほかないのです。 私自身は、一度として、自分の氏名を自分自身のものだと思ったことはありません。それは結局のところ、自分が本当の意味でのだれかの子であると思ったことはないためなのでしょう。生みの親にしても、真の御父様にしても、親であること、親として子を愛することを放棄しつづけてきました。生みの親はただ、埼玉県神川町にあるメッコール工場に招集された末、教祖の気まぐれひとつによって豚のようにつがわされ、組織の操り人形となって私を生みだしただけです。その後、私に虐待を繰りかえすことはあっても、親らしいふるまいをしたことはありませんでした。結局のところ、彼らもまた、真の御父様の愛に飢えた同じ屋根の下の兄弟姉妹たちなのです。ところが、真の御父様は私たち兄弟姉妹がこんなにも愛してやまなずにいることに気づいてくださらない。ただ、私たちが真の御父様の手足となって新たな神の子を生み育てることを漠然と期待なさるだけです。 私はずっと、自分のことをみなし子だと思いつづけてきました。私の氏も、私の名も、私には無縁なもの、無責任なものとして、私に張りついている。それを耐えがたいほど苦痛に思うみなし子です。私はこのみなし子の悪夢から抜けだすために、何度も自分自身の存在を抹消しようとしてきました。その最良の方法はこの肉体を破壊することだと長らく思っていました。しかし、もっと別の道があるのかもしれない。たとえば、氏名変更をすることで新たな生の可能性を探ることもできるのかもしれない。愛を、氏名を与えてくれる者がいないのなら、自分で与えるしかない、と今ひさしぶりのメッコールを手に思います。それが祝福二世としての自分にかけられた呪いから抜けだすための一つの手立てであるような気がするのです。

19 Dec 2024 · y. nonami

統一教会の二世として東京地方裁判所司法記者クラブで話したこと(2024年11月26日)

2022年7月8日に安倍晋三銃撃事件が起きて以来、統一教会(全国世界平和統一家庭連合)がこれまでに起こしてきた問題にあらためて光があてられるようになりました。そんななかで全国統一教会被害対策弁護団が結成され、被害者たちによる集団交渉の申し入れの手続きがすすめられています。 2024年11月26日には第九次通知が教団に送られ、訴えを起こしている被害者の数はあわせて194名となりました。また、同日の14時には東京地方裁判所の司法記者クラブで全国統一教会被害対策弁護団による会見が開かれ、赤旗や産経新聞、Yahoo!ニュースといったメディアでとりあげられました。 記者会見では新たに名を連ねた16人の被害者のうちのひとりが宗教二世として短い談話を発表をしました。参考までに、その原稿をここに載せておきます。 私は統一教会の二世ですが、正確には、いわゆる祝福二世というものです。祝福二世というのは、教会によって組織的に子作りをさせられた信者の子どものことです。神の子とも呼ばれています。 私は、今年の夏までフランスで大学教員をしていました。フランスは、日本に比べてはるかに気楽でした。なぜかというと、嘘をつかなくてもよかったからです。日本では、とにかく人を騙してきました。家族から虐待を受けてきたことや、狂信的な家庭で生まれ育った自分の素性というか、アイデンティティについて、ずっと隠しつづけてきました。そういう二世としての現実から目を背けるため、逃げるために、日本を出たのですが、そのおかげでフランスではほんとうにおだやかな暮らしができました。自分が二世であるということさえ忘れていたくらいです。ある意味、自分自身まで騙しとおせたということなのでしょう。 ところが、二年前に安倍晋三銃撃事件が起きて、ちょっと言葉にはできない衝撃を受けました。いままでの自分の人生はいったい何だったんだろう。嘘をつきつづけて結果がこれなのか、と思いました。自分のことがひたすら恥ずかしかったです。それで、今年の夏に帰国して統一教会にむきあうことにしました。そんななか、別の二世の方が集団交渉に参加して記者会見をなさったのを知りました。それに励まされて、こうして声をあげることにしました。 私がいちばん訴えたいこと。それをひとことでいうと、生まれたときから人間としての尊厳を踏みにじられつづけてきたということです。 祝福二世というのは、ひとりの人としてではなく、モノとして、組織のための道具として、神に絶対的な忠誠を尽くす兵士として、組織的に生みだされています。これは、統一教会の教義にかかわることなのですが、どの信者にも求められているのは、神の子を作るということ、家庭を作るということです。それが信仰生活の最大の目標です。家庭を作り、神の子を産むことができなければ、地獄に落ちると考えられています。だから、私にも生物学的な意味での両親がいますが、この二人は、教義のため、組織のために、組織的な縁組をさせられて、私を生まされたわけです。そして、神の子として生まれてきた自分も、次世代の神の子を産みだすことを求められます。 ようするに、信者の肉体というのは、神の子を生む機械のようなものだと言えます。教会の言葉では「神の愛の王宮」ともいいます。肉体というのは、自分の所有物ではなく、神の所有物だという考え方です。ひとりの人間として尊重はされていない。だから、そこでいろいろな人権の侵害が起きる。恋愛が禁止され、教育が軽視される。 私自身、実際、生みの親に親らしいことをしてもらった記憶はあまりありません。二人とも自分たちが親だという意識が完全に欠如していました。女親のほうは、ほとんど家にもいなかったし、男親のほうはたいてい自室にひきこもっていました。家はいつもごみ屋敷で、足の踏み場もありませんでした。彼らを含め、徹底的に自己肯定感を貶められてきた。自分自身、組織的に生み出されてきたわけなので、そんな化け物じみた自分自身の存在が苦痛でたまりませんでした。存在していることが苦痛でした。 統一教会の教義は神の子を組織的に量産しようとします。そんな教義を否定するいちばんの方法は、自殺をすることなのかもしれません。だから実際、多くの祝福二世が自殺してきました。つまり、教義によって生みだされてきたものが、その教義に背こうとするときには、自殺においやられるわけです。その悪質性、非人道性について、つきつめて考える必要があります。 人間には、人間としての尊厳があるのではないでしょうか。人は、モノではなく、人間らしく扱われなければいけません。これは当たり前のことですし、それを平気で踏みにじってくるのがこの日本という国なのだとも思うのですが、人はなにかの手段や道具として扱われるのではなく、その人自身の自由や幸福がなにより尊重されなければいけません。 だから、統一教会が組織的な形で信者に生殖を行わせているということは、決して許されていいことではありません。それは人間の尊厳に対する罪ですし、生まれてきた子どもたちは、自分が存在しているということそのものに一生をかけて精神的苦痛を感じつづけることになります。そのような子どもたちを生み出した統一教会に対して、然るべき法の裁きがくだされるのを願っています。 今回は、祝福二世という立場で私がお話をする機会をいただけましたが、統一教会の二世といっても、さまざまな二世がいて、それぞれの被害の内実は違います。たとえば、安倍晋三銃撃事件を起こした山上徹也さんは、いちおう、統一教会的には、信仰二世という立場にあります。そして、信仰二世のなかにも、いろいろな立場の違いがあるはずです。 それでも、ひとつ言えるのは、それぞれの仕方で、人生を損なわれたということ、人間としての尊厳を踏みにじられてきた、ということです。立場はちがっていても、その点できっと手をとりあうことができる。今回の私のお話がメディアにとりあげられるのかどうかはわかりませんが、もしなんらかの形で報道されることがあるなら、同じ二世に伝えたいこと、というか、過去の自分に伝えたいことがひとつあります。それは、自分たちは孤独ではない、ということです。自分もこれまでは圧倒的な無力感に打ちひしがれてきました。それで、現実からずっと逃げてきました。ほんとうは同じように苦しんでいる仲間がたくさんいるのに、過去の自分はそのことにも目を背けつづけてきました。 しかし、いまはちがいます。いまは、こうして声を上げる二世が出てきました。そして、この全国統一教会被害対策弁護団による集団交渉の枠組みのなかでも、その声がとりあげられるようになりました。弁護団のウェブサイトには、電話やメールでの相談を受けつけています。どうかいっしょに声をあげましょう。 写真 (c) 春増翔太 20240921

29 Nov 2024 · y. nonami

浮浪者モモにまなぶ生活保護術⎯⎯ひとりではじめるのら公務員生活

暇ってなんだろう あなたは明日暇ですか。最近、日本語を勉強中の人にそうたずねられて、すこし困ってしまった。仏語圏から来た人だったから、たぶん「Es-tu libre demain ?」という文が念頭にあったのだとおもう。英語にすれば「Are you free tomorrow?」。それを逐語的に日本語に置きかえたような質問だった。 あなたは明日暇ですか。日本語としては、こころなしアグレッシブな感じがする。ひとつには「あなたは」という言いまわしがあまり日本語らしくないせいかもしれない。「明日、暇ですか」というだけで事足りるから、わざわざ「あなた」呼ばわりをすると、角が立ってしまう。 それから「暇」という言い方。これにもすこし尖ったところがある気がする。もちろん、それはこの自分が現に暇をしているということもあったとは思う。明日だけでなく、明後日も暇。というか、つねに暇だ。それを言いあてられてつい動揺してしまった部分もある。 ただ、そんな個人的事情をさしひいても、相手を暇呼ばわりするのは、そもそもあまり穏やかではない。子供同士の会話で「明日、暇?」というのはわかる。ある程度の年ごろまでは、自分が暇をしているということを素直に受け入れられるのだろう。しかし、大人の間ではむしろ「明日、空いていますか」や「都合はどうですか」、「時間はありますか」といった言い方が好まれるむきがある。人の時間はあくまで貴重なものなのであって、それをありがたく割いていただく。暇人に暇潰しをさせるわけではない。大人になるときっと、そんな発想をするようになっていく。 そもそも、暇というのは何なのだろう。本来そこにあるべきないけれど仕方なくそうある。そんな含みも感じられる。いわば、白い壁にできたほんの小さな傷のようななにか。塗り潰しておくにこしたことはないもの。暇。よく似た字面の言葉に「瑕きず 」というものがある。「ほとんど完全である中に、たまたま一つだけあるわずかな欠点」。暇と瑕。よく見ると、同じ「叚か」の字をともなっている。 この「叚」という謎の字。一説には、原石の受けわたしの様子を象ったものらしい。そこから「貸し借り」や「仮の」、「不完全な」という意味に転じたという。だから、たとえば「霞」というのは雨の原石のような状態をさしている、という説を見かけた。雨にみたない雨。雨としては欠けたところがある。それが霞なのではないか。では「暇」という字は? 何をあらわしているのか、正直よくわからない。漢字をつくづく眺めてみても、謎は深まるばかりだ。 いちどひらがなに開いて「ひま」という和語について考えてみることもできるかもしれない。辞書には「手空きの時間・状態」や「物と物との間の空所。すきま。すき」、「人と人との間にできた気持ちの隔たり。不和」、「手抜かり。油断」というような説明があった。ある種の余白。余計なはみ出しものでもありながら、それと同時に、満たすべき欠如でもあるような。 暇とはいわば、持てあましてしまった隙間のことなのだろうか。単なる空き時間のことではなくて、どうしても使い道の見いだせなかった空き時間。うまく時間管理ができなかった不手際のせいで生じてしまった残余。できることならそれを埋めたかった。しかしそれでも最終的に残ってしまった半端分。ある種の手づまりのなかで。 暇。いずれにしても嫌味な感じは拭えない。暇人呼ばわりをされていい気になる人はたぶん少ない。暇はあくまで一過性のもの、暫定的なものにすぎず、時とともに消えるべくして消える。人として人生をかけて暇そのものであるようなことは、ありえない。それではただの穀潰しではないか。なんのために生きている? 猫という暇の権化みたいな生き物ならまだしも、まがりなりにもあなたは人間でしょう。しかも大の大人でしょう。そんな冷ややかな声も聞こえてくるような気がする。 たしかに、自分のまわりの大人たちを見ても、暇そうにしている人はあまりいない。それは単に日々の職務に追われているからということでもなくて。仮に無職の身であっても、忙しくしている人たちがいる。この世界には、読むべきものや見るべきもの、聴くべきもの、いいねやシェアをするべきものであふれている。だから、空き時間はできたそばから埋まってしまうことが多い。一瞬トイレに立つときでさえ電話を手放さずにいる。 情報のあふれかえった現代において、暇かどうかは気の持ちようでもあるのだろう。今暇なのかどうかは、自分が決める。自分で決める。そしてきっと、自分自身に対しても他人に対しても、多忙をよそおっているほうが気楽なのだ。そうすれば、自分が今すべきことをしている感が出る。だから大人の知恵として、暇であることをみずから禁じる。人生に与えられた時間はかぎられているのだから、持てあましていい時間などない、と自分に言いきかせる。その結果、子供のときにはあんなに享受していたはずの暇が、ある種の恥ずべきものに変質してゆく。暇人でいることがタブーになってゆく。 自由を持たないというアナキズム 暇ではないということ。自分がすべきことを知っていてそのために自分の時間を有効活用しているということ。現代の日本においてはそれが「生産的」なことだとされていて、それが「ゆたかさ」をもたらしてくれるとも考えられているようだ。しかし、このような考え方が決して当たり前ではない時代がつい最近まであった。そのことを教えてくれたのは、ミヒャエル・エンデの『モモ——時間どろぼうとぬすまれた時間を人間にかえしてくれた女の子のふしぎな物語』だった。 モモは、ホームレスの女の子。どこにも帰るべき場所を持たない。しかし、ただそれだけではない。こういってよければ「タイムレス」な女の子だったのかもしれない。すこし奇妙な言い方になるかもしれないけれど、モモは時間も持っていない。そのため、時間を割く﹅﹅ということ、なにかのために有効活用するということがない。モモにとっては、時間は量に換算できるもの、空間的な広がりを持つものではないようなのだ。多くの現代人にとっては、時間はさまざまな用途のために割り振ることができるリソースとしてある。一年や一ヶ月、一日、一時間といった単位があるから、それで時間を区切っていって、自分なりの時間割を組みたててゆく。過去から未来にいたる時間の流れを自分の活動によって刻んでゆく。そういったことがモモにはできない。そのかわり、人の話に耳をかたむけるのは得意だ。いつまでも延々と話を聴いていられる。 では、モモは暇なのだろうか。暇とはちょっとちがう気がする。というのも、いわばモモには「今」しかない。暇とは、隙間のことだ。隙間というものは、分割された時間のなかにだけ生じる。たとえば、午後七時から八時までは夕食の時間で、十時から翌朝の六時までは就寝の時間だけれど、夕食から就寝までの空き時間をどんな予定で埋めていいのかわからない。それを暇と呼ぶなら、モモの生きる「今」にはそのような隙、つまり分割の痕跡がない。では、モモはいったい何なのだろう。 モモは自由である、と思う。とはいえ「自由」というのは、日本語としては、やや堅苦しい。英語にすれば「Momo is free」。仏語では「Momo est libre」。かなりくだけた文だ。それでいて「暇」という日本語のように難癖めいてもいない。自分の時間などが使用可能(available / disponible)といった程度の意味で、日常的に使われている。「空席(free seat / place libre)」というときのように、空いた隙間、埋めることのできる隙間がある、という意味。モモはその意味で、自由そのものなのかもしれない。しかし、モモは自由を所有しているわけではない。自由そのものであるということと自由を所有しているということとは、とても違う。 この違いについてはきっと、これまでいろいろな人が考えてきた。カール・マルクスもそのひとりだ。マルクスいわく、資本による搾取の構造のなかで、労働者は二重の意味で「自由(frei)」あるという。第一に、奴隷と違って、自分の労働力を切り売りするかどうかをみずから決めることができるということ。つまり、自由(可処分時間や労働力)の所有者であるということ。そして、その自由をみずからのために行使する自由(自己決定権)の所有者でもあるということ。第二に、生産手段をはじめとする材からみずからが切り離されているということ。ひいては、あらゆるしがらみに縛られずにいるということ。つまり、自由そのものであるということ。着の身着のままで何者でもなく、自身が売り物として所有する自由以外は何も持たざる者だということ。「Duty Free」のことを日本語では「免税」というけれど、そのような意味で、自由人であるということを除いたあらゆることから免じられている。 いまでは廃れてしまった日本語としては「フリーター(自由人)」という語にもこのような「自由」の二重性をかすかに聞きとることができた。現代でいう「非正規」のような身も蓋もない言いまわしとちがって、社畜として拘束されず、何者であることからも免じられているという意味での自由の積極的な意味が辛うじてこめられていた。あえて何者でもないことを選びとる。何者でもないことを強いられるようになった現代においては、もはやこの「あえて」が単にそらぞらしくひびくだけだとしても。 では、モモはある種のフリーター(自由人)だと考えることができるだろうか。マルクスのいう第二の意味において、つまり着の身着のままであるという意味においては、フリーターに通じるところがあるかもしれない。しかし、第一の意味での自由を所有しているわけではない。モモ自身は手空きなのに、空き時間はない。したがって、労働者としてそれを切り売りすることもできない。その点においては、不自由でさえある。むしろ奴隷に近い。 労働者という自由人とちがって、奴隷は自由に自分の自由時間を使うことができない。そのため、逆説的な言い方になるけれど、奴隷は自由から自由である。つまり、マルクスのいう第一の意味での自由(可処分時間や自己決定権)から免じられている。そして、そのように自由でいられるのは、奴隷が主人の所有物だからだ。労働者が自由を市場で切り売りしなければ生存できないのに対して、奴隷にはそもそもそんな選択肢が与えられていない。 モモの場合は、主人のいない奴隷のようなものなのかもしれない。自分自身をふくめ、だれも自由を所有していない。モモはいわば「今」という時間に隷属している。モモの無力のなかで、自由は自由として手つかずのままそこにある。だれもそれを盗むことができない。モモはいわば、暇を持たない暇人。隙だらけというより、隙そのものだから、それに引きつけられてくる者たちがいる。そうして、そこにちいさな重力が生まれ、一種のアナキズムが芽生える。 時間の高騰と囲いこみのなかで 時間が一種のモノとして捉えられるようになったのは、いつごろからなのだろう。近代的な意味での自由や個人、所有といった観念が生まれたころからだろうか。すくなくとも「時は金なり」という格言が十八世紀に出てきたときにはすでに時間はある種の材、ひいては個々人の私有物と見なされるようになっていたのだとおもう。時間が私有物になるということは、売買などの交換の対象になるということ。それはようするに、時間が金銭などに換算可能なものとして市場の論理のなかに組みこまれるということでもある。 機会損失という考え方が生まれたのも、きっとそのころかもしれない。機会損失というのはつまり「何もしない」ということが「無為に過ごす」という負の行為になるということだ。たとえば、時給千円で雇われている非正規労働者がいたとする。そして、その人がある日の午後一時から六時まで何の仕事の予定も入れなかったとする。そのとき、五千円分の機会損失をしたと考えてみることができる。自分の労働力を売る自由のなかで、売らないという選択肢をとった。見方を変えれば、労働によって得られたはずの五千円の対価として五時間分の自由を得るという選択肢をとったということだ。 経済合理的には、そういう話になる。いつからかこうして「何もしない」ということまでもが損得勘定のなかに組みこまれるようになった。そのことに無自覚でいられるかぎりは、自分自身が時間の無駄使いをしているとは感じない。ちょうど為替相場の動きを知らずに日本円を貯めこんでいる人が、実は大きなリスクをともなう投機的な賭けに出ているということにはつゆほども気づかないように。ところが、自分の行動のいちいちが市場のなかで知らずしらずにしている選択なのだということ、自分がそのような自由につねに晒されているということを意識すればするほど、人は無為に生きることができなくなる。あらゆるものをトレードオフと捉えるようになる。トレードオフとは、つねになにかが別のなにかの対価としてあるということだ。一方を求めれば、もう一方は犠牲になる。 このようなトレードオフ思考のなかでこそ、暇というもの、つまりは非生産的な時間というものが目の敵にされてゆくのかもしれない。時間が希少な資源と見なされるようになり、時間の価値が高騰すればするほど、それに見あうだけの生産性が求められてゆく。その結果、チャールズ・ディケンズの『クリスマス・キャロル』に登場する守銭奴のように、もっぱら経済合理的な最適解を追い求めるあまり、非生産的な活動がことごとく味気ない時間の浪費のように感じられるようになる。貴重な時間が逃れてゆくような焦燥感のなか、生産性への強迫観念のなか、時間の出し惜しみをするようになる。それは端的に、生を貧しくしてゆくばかりだ。 ここではいわば、時間の囲いこみ、魂の囲いこみが起きていると言えるのだろう。そのときに失われているのは、ゆとりである。ゆとりとは、余裕のこと、遊びのことだ。語源的には、ゆったりしているということ、ゆたかであるということ。暇という語と同様、なんらかの残余を指す。ゆとり教育にまつわる風評被害によって、この「ゆとり」という語もそこはかとない蔑みの的になった。とはいえ、暇という言い方に比べて、ゆとりや余裕、遊びのほうには、いくぶん肯定的なひびきがあるような気がする。 ゆとりは、生産性の向上によっては得られない。私有物として囲いこまれたそばから失われてしまう。つまり、ゆとりはつねにだれのものでもないものとしてある。ゆとりとは、だれにも所有されずにいる自由そのもののことだ。 昨今の行動経済学では、ゆとりの欠乏はさらなるゆとりの欠乏をもたらす、ということが明らかになってきているようだ。センディル・ムッライナタンの『いつも「時間がない」あなたに』という本のなかでは、ゆとりのない人がまさにそれゆえに時間的にも金銭的にもますます追い詰められてゆくような負のスパイラルについて論じられている。トレードオフ思考のなかでは、目先のことしか考えられなくなり、突発的な事態に対応できなかったり、長期的な展望を持てなくなる。つまり、現在の自分自身の利益という点からしか世界を見ることができなくなってしまう。思考に遊びを欠いているので、状況が好転するきっかけにもなるような様々な可能性が視野に入ってこない。さらに、トレードオフ思考においては、あらゆるものに代償がつきものである以上、ともすると現状を仕方なく受けいれてしまう。かつての日本にも、痛みなくして改革なし、という甘言につられ、あまりにもいたずらな現在の痛みに甘んじてしまう人たちが大勢いたように。それが結果的にはさらなる欠乏を生みだす。資本の運動はそれを食い物にして経済的な格差を拡大する。 労働の脱手段化にむけて 現代の日本には深刻な貧困問題がある。2023年付のデータをすこし見ておこう。まず、金融広報委員会の調査によると、日本の総世帯のうちの28.4%が将来のための貯蓄をしていない。つまり、四人に一人以上の日本人がもっぱら日々のやりくりに追われている。また、厚生労働省の調査によれば、就業者人口に占める非正規労働者の割合が37.1%に及んでいるし、国税庁の調査からは、ワーキングプアとも呼ばれる年収が200万円以下の就業者の割合が20.4%、年収が300万円以下の場合は34.4%にまで上っていることがわかる。さらに、統計局による労働力調査では、完全失業率が約2.5%にまで落ちこんでおり、2000年前後の状況や他国の現状に比べても低い水準にある。これらのことから確認できるのはつまり、日本ではいまだ労働力をすすんで投げ売りしてしまう労働者に事欠かないということだ。外国出身の労働者を巻きこんだ節操のない労働力の安売り競争のなか、時間が法外に低い付け値で買い叩かれてゆく。その結果、ゆとりのない使い捨ての生を知らずしらずに選びとってしまう自由人たちが増えて行き場を失ってゆく。 労働者は奴隷ではないということになっている。切り売りできる自由の所有者である。しかし、生存の代償として自由の投げ売りを余儀なくされているとしたら、どうだろう。つまり、生存と自由がトレードオフの関係にあり、それに甘んじるしかないのだとしたら。 生存と自由がトレードオフの関係にあるということ。それは生活にゆとりが欠乏しているという事態そのものであると同時に、欠乏の再生産のための土壌にもなる。労働力の投げ売りに精を出すあまりに目先のことだけで手一杯になり、その先には身も蓋もない破滅が待ち受けていることに気づかずにいる人はきっと少なくない。そして、無節操な自由の切り売りが生活の首を締めるようになってくると、やがてコストパフォーマンスさえよければどんな手段も厭わなくなる。その結果、たとえば戦争が起きた場合には、自発的にみずからの生を投げだすようにさえなるかもしれない。決して自業自得なのではない。人を破滅へと巧妙に駆り立てるような力が働いているというだけなのだ。 このような隷属の競争から抜けだすのに必要なのは、自分の労働力を人よりもさらに安く見積もることでもなければ、自分の生産性を向上させることでもない。近視眼的な経済合理性にふりまわされることない長期的な展望を持つことが必要である。そのためにはなによりもまず、ゆとりが要る。それはお金に換算できるような単なる空き時間のことではなくて、市場の外でだれのものでもないまま手つかずにいる自由のことだ。しかし、自由の切り売りのスパイラルのなかにある労働者は、ゆとりをゆとりとして見出すことができない。時間と金銭、自由と生存のトレードオフの外部、時間や魂を囲いこみつづける市場の外部に出るのは容易なことではない。 現代の日本では、労働市場からドロップアウトすれば社会的にも経済的にも抹殺されてしまう、と広く信じられている。働かざるもの食うべからず。ただ飯食うなかれ。食うにも対価が要る。つまり、無条件で生存を享受できるわけではなく、その代償としての自由が相応に支払わなければならない。きっとそのような刷りこみのもとで、自由を生存の代償とすることが法外なまでに正当化されてきたのだろう。 法的な観点から言えば、このような生存と自由のトレードオフ思考は間違っている。日本国憲法の二五条にいわゆる生存権が規定されているからだ。「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」とある。つまり、生存のためにみずからすすんで自由の投げ売りをする必要などどこにもない。苛烈な労働市場に飛びこんで自由を消耗することになる前に、あらかじめ試しておく価値のあるものがある。それは、健康で文化的な最低限度の生活に必要な給付金をまずは得てみる、ということである。それは一般に「生活保護」と呼ばれていて、運用の細則がいわゆる「生活保護法」に記載されている。法文の英語版では「Public assistance(公的扶助)」や「Public Assistance Act(公的扶助法)」と呼ばれるものだ。 生活保護という日本語には、語弊がある。労働市場に適応できなかった弱者が困りはてた末に御上の庇護を受ける、といったイメージへの誘導がそこにあるからだ。実際、いまでも非常時のセーフティネットとして広く認知されており、制度の捕捉率も低い。厚労省の報告によれば、2023年時点の給付金の利用率は1.6%である。しかし、本当はもっと多くの人、日本の総人口の約8%が利用してしかるべきものだ。というのも、公的扶助制度の捕捉率は2割程度にすぎないとされている。つまり、制度を利用すべき人の約8割はそれを利用せずにいるということだ。 このような現状は、言葉遣いのレベルでの国家的なネガティブキャンペーンの賜物である。公的扶助への偏見が醸成され、無職であることは後ろめたいことだとされてきた。というのも、制度が利用されればされるほど、囲いこみの外に出る労働者が増えて失業率が上がり、財政が悪化する。国としてはできるだけ労働者を市場に送りかえし、消費者や納税者として経済に組みこまれていてほしい。それを拒否して権利ばかりを主張する国民は国にとってはあまりありがたくない。しかしそもそも、国とは人のためにあるものだ。人が国のためにあるわけではない。人のためにならない国は要らない。憲法に書かれているのは、そういうことだ。 原則的な話をすれば、公的扶助による給付金は、日本の国籍や永住権を持っている者で、収入がないことや銀行や証券の口座に資産がないことさえ証明できれば、だれでも利用することができる。排除ベンチというものの存在が象徴しているように、行政にとっての公共財や制度はそもそも、秩序を守るため、生を管理するためにある。行政の思惑から逸脱するような利用は望ましくないし、行政としてはできるだけ自分たちで勝手に現場のルールを作っていきたい。しかし、人はその人自身の必要のために自由に公衆ベンチを使うことができる。そして、それくらいカジュアルな気持ちで、公的扶助による不労所得を得ることができる。労働市場での生存競争に疲弊した末の命綱なのではない。ほんとうは順番が逆で、出発点として生存のための不労所得が確保され、その上で労働市場に参加するかどうかが決められるべきだ。つまり、労働は生活が保護された上で見出される目的のひとつであるべきであり、生活を保護するための手段であってはならない。 時間や魂にゆとりのない人、それゆえにトレードオフ思考に陥っている人には、公的扶助の利用者のことを税金泥棒のようにも限られたパイを奪う穀潰しのようにも思うかもしれない。しかし、ゆとりはいつも囲いこまれた空間の外側にあり、それを担保するために公的扶助という制度はある。公的扶助の利用者は、税金を私物化するわけではない。つまり、自分の私物として資産の囲いこみをするわけではない。むしろ、コミュニズムの空間に投げだされる、といったほうが実情に即しているような気がする。 時間のコミュニズム 現代の日本においては、公的扶助の利用が生活にさまざまな不自由をもたらすことになるのはまちがいない。税金の支払いの免除や、医療・介護サービス、公共交通や公共放送の無償化といった恩恵はある。しかし、障害者加算などがなければ、行政からの給付金は多くても月に十三万円程度。そのなかで生活のやりくりをしなければならない。日本円を使った消費行動が生存の基盤となっている都市部においては、消費者として市場に関わりつづける必要があり、それなりの不如意を強いられることになる。 そのかわり、公的扶助によって得られる効用がひとつある。時間を売りわたさない自由が得られるというものだ。それは生存の代償とされてきた自由時間をゆとりへと、つまりゆたかなものへと変える。トレードオフ思考のなかで時間の損得勘定をすることがなくなるので、暇人として無為に過ごすことが機会損失とは考えられなくなる。時間割の囲いを抜けでた時間は山野を通り過ぎてゆく川のように恬淡と流れはじめる。 時間が私有物ではないということ。それは、時間がありふれている、ということでもあるのだろう。ありふれている、というのは、どこにでも潤沢にあるということ、希少ではないということだ。まだ商品としては囲いこまれていないから、だれもが自由に利用できる。このような意味での「ありふれている」は、英語では「common」という。コモン。「共有材」という堅苦しい訳語があてられる言葉でもある。また「communism」のように語形変化させると「共産主義」といった語も出てくる。 しかし、なんらかの資源が共有されていることと、その資源がありふれていることの間には、大きなずれがある。共有は、それが資源の分割や分配をするということである以上、あくまでも経済的な営みである。たとえばかつての共産主義国では、生産手段をはじめとする有限な材を国家権力が囲いこみ、その上で国民がそれを借り受けるという管理体制をとった。そのような分配の体制はきっと、つねにゼロサムゲームとして機能するのだろう。一方の得られるものが多ければ、他方は少ない。いわゆる共産主義国はその差配を国家権力に委ねたということだったのかもしれない。...

9 Oct 2024 · y. nonami

なごること、すむこと⎯⎯ホームレスとネームレスのあわいで

前略 わたしは、太郎というものです。どちらかといえば、桃ではなく、浦島のほうです。お手紙、ありがとうございました。お手紙、というのは、ご新著の『ホームレスでいること』(創元社、2024)に添えられていたもののこと。すべて読みとおしたときには、日が暮れかけていました。きづけば目の前の善福寺川がいちどきに輝きはじめています。夏の日のなごりをうけて。 わたしはいま、川をさかのぼってきた末に、ほとりのベンチに体を休めることにして、このお返事をかいています。ちょうどいましがた「なごり」の変換候補として「名残」のほかにも「余波」という漢字がでてきたのに目がとまり、首をかしげました。あまり記憶にない感じがしたのです。なごり……。なごりとはなんだろう、と疑問におもいはじめます。 なごり。名残。余波。nagori。作家の Ryōko Sekiguchi さんが『Nagori』というエッセイのなかで話していたことも思いおこされます。「なごり」とはもともと「波の残り」、「なのこり」のことだというのです。辞書にも、いろいろとおもしろいことが書かれていました。「浜、磯などに打ち寄せた波が引いたあと、まだ、あちこちに残っている海水。また、あとに残された小魚や海藻類もいう」。「風が吹き海が荒れたあと、風がおさまっても、その後しばらく波が立っていること。また、その波。なごりなみ。なごろ」。 それがどうして「名残」と表記されるようになったのでしょうか。名と波。一見したところ、ふたつはとてもちがう。けれども、けっきょく、残されるもの、あとに尾を引くものだという点では、おなじなのかもしれません。ローマ字にすればおなじ「na」。 名。な。na。波。な。na。漢字を開いたり閉じたりしてみることで、ときほぐされてゆくものがあるような気がします。言葉がとおのいて、すこしよそよそしくなる。ずっと沖のほうで波打ってはゆらいでいるような。そんな言葉たちのひびきに耳をすます。すると、すこしずつ、日本語のことがわからなくなっていきます。ここはいったい、どこなのでしょうか。自分の知っている故郷なのでしょうか。 わたしは今年の夏のはじめに、本州島に舞いもどってきました。むかしから言の葉のさきわうとされる島。この敷島には、日本語が飽和したようにあふれています。そこかしこに日本語の声や文字がこだましています。そんなにぎわいのなかにうまく入ってゆけたらいいのですが、あるかないかの不協和音をふるえながら発しつづけている自分がいます。ひさしくこの島を留守にしていた弊害なのでしょうか。わたしの耳には日本語が妙になれなれしすぎるのです。 たとえば、漢字で表記された na の数々。ここでは島民の多くが自分自身の漢字を背負いこんでいます。安倍晋三でも、黒柳徹子でも、なんだっていいのですが、まるでとても強固で呪術的な鎧をまとっているようです。そして、いまの自分にはなぜかそのひとつひとつがあまりにも生々しい。湿度のせいもあるのでしょうか。無遠慮に鼓膜にはりついてくるような感じ、そのせいで na が 波として遠くからひびいてくれない感じがして、気づまりになります。 それはたぶん、わたしがひさしく滞在していた土地では主にアルファベットが飛びかっていたせいもあるのかな、とおもいます。いわば、アルファベット製の龍宮城。そこで出会う名前たちのひとつひとつがアルファベットの存在感をもっています。わたしの名も、アルファベットで呼ばれていました。そのせいか、かつてまとっていたはずの漢字は、あってないようなものでした。裸の王様が着こんでいたという透明な服のように。そのせいもあるのでしょうか。自分はほんのすこしだけ匿名的、抽象的な存在になれたような気がしたのでした。漢字という手がかりがなければ、素性をインターネットでしらべることもできない。本州島にいたころの自分は、あってないようなものなのでした。 名前というのは住所のようなものなのかな、という気がします。人は名を住まいとする。終の棲家にする人もいれば、仮住まいをする人もいる。ヤドカリかなにかのように。そしてたぶん、家に住み心地があったり、波に波乗り心地があったりするように、名にも名乗り心地がある。なれなれしく、生々しすぎることもあれば、よそよそしすぎることもある。自分をうまく包みこんでくれるものがあってかえってそこに囚われてしまうこともあれば、すこしも自分にふさわしくないものを押しつけられることもある。 このわたしはといえば、いまちょうど、自分の名を龍宮城においてきてしまったところなのでした。ある種の記憶喪失にかかった人のように。「ネームレス状態」と考えてもらえばいいでしょうか。ただ、それはかならずしも名前を持たないということではなくて。違和を、不協和を、かんじつづけている。ずれている感じがする。本州島にふたたび漂着して以来、この言の葉の国の住人になれるような気がすこしもなれないのは、きっとそのせいもあるのでしょう。 住む、ということ。すむ。sumu。それは同時に「済む」や「澄む」ということでもあるのかな、とおもいます。意味あいとしては、乱雑だったものが落ちつく、ということになるのでしょうか。秩序がとりもどされ、平穏がおとずれるということ。片がつくということ。エントロピー(?)の収束。水面は澄みきったかがみのようになる。波ひとつ立たない。なごらない。それが「すむ」ということだとしたら。わたしはいま、日本に住んでいるのか、という疑問もわきます。正直、自信はありません。東京湾の浜辺に打ちあげられたものの、着こむべき名前が見あたらない。裸の王様のままなのです。 もちろんわたしもかつては、名前つきの人間でした。姓と名とあわせて四文字の名前です。この島には姓名判断という呪術的な風習がありますが、それによると、大大吉の名前なのだそうです。けれども、その名はもともと自分にふさわしい住処では決してなかったのでした。これまでの人生をとおして自分をつつみこんできたその名前、自分にはいつまでもよそよそしかったその名前の、漢字の生々しさだけがいま、いたずらに迫ってきます。 すこしこみいった話になりますが、わたしの名前はもともと、ある教団の長によって名づけられたものでした。わたしには実の両親と呼べるような存在がはじめからいませんでしたが、わたしを肉体的に生みだすことになった人たちの交配がおこなわれたとき、教団のほうで名づけのための漢字がいくつか定められたのです。それを組みあわせたもののひとつが、わたしの名なのでした。いまになってふりかえると、それはわたしがひとりの人間としての尊厳をもって暮らすことのできる住まいと呼ぶことはできません。ちょうどわたしが子供時代をすごしたごみであふれた2Kのアパートが、人が尊厳をもって暮らすことのできる家屋ではなかったのと同じことです。 わたしはその家屋を棄てましたが、名前はほんのつい最近まで捨て去ることができませんでした。名前はみずからの命を持ってもいるからです。 名前たちは、よくもわるくも、群れるものなのかな、とおもいます。名前たちはたがいにひとりでに結びついて、大きな織りもののような村をつくりあげる。そこにはいつも、いとしさがあります。いとしいから、つながりあってしまうのです。わたしはいま、そんな名前たちのつらなりがさざなみのように寄せては引くなか、自分のかつての名が蝉の抜け殻みたいに名残っているところをみています。砂の城がすこしずつ風のなかに消えてゆくようにして、抜け殻は腐敗していとしさの網目のなかに生分解されようとしています。 そんなさなかに、あなたからのお手紙が舞いこんできました。「少し離れたそこにいるあなたへ」と題された手紙です。それは少し離れた「わたし」自身にあてたものである、とあなたは言います。 わたしとあなたは遠いようで近い。近いようで遠い。それが意味するのは、わたしたちの立場がいつかどこかで入れかわっていてもおかしくなかった、ということでもあるのでしょうか。ここはそこになり、そこはここになる。いつも裏返しの関係にある。近いけれども、裏側にあるから、決して触れることはできない。 わたしが竜宮城で出会った言葉のひとつに「partage」というものがあります。日本語では「分かちあい」とでも言えるでしょうか。これはある意味とても矛盾した言葉です。分かちあうということは、袂を「分つ」ような離別の経験にも、気持ちが「分かる」ような出合いの経験にもなる。近づきながら離れて、離れながら近づく。裏を裏として、表を表として、ふたつを縫いあわせたような言葉なのです。 ひとりでいることがわたしを助けてくれる、とあなたは言います。「ひとりでいる」ということは、さまざまな人や物、草木や山や海、そして、記憶や時間など、あらゆるものと自分との距離や違いを感じて、ひとりの自分を確認することだと。 また、あなたには何が見えますか? ともあなたは言います。いまのこのわたしには何が見えているのだろう。目の前には、川が流れています。とても遠くから流れてきている。そして、とても遠くへ行ってしまう。それでいて、こんなにもちかしい。ちょうどあなたの手紙のように。川は、なつかしい。なつかしいということはきっと、遠くて近い、ということなのです。いま、わたしには何が見えているか。 あわい桃影がみえてきました。 どんぶらこ、どんぶらこ。桃のような物体が水面を流れてゆくさまをあらわすこの擬音語のことをわたしはよく知っています。わたしの耳は、どこまでもこの島の言の葉の暴力にさらされつづけています。この本州島を巨大な地震がおそったときには、桃が川を流れる写真を提示して、ひとこと日本語を口にしてもらう。そうすることでかんたんに非国民を見分けることができる、とだれかが話しているのを最近見かけました。わたしはそのとききっと、どんぶらこ、どんぶらこ、という魔法の言葉をとなえることはできない。そのためにきっと日本刀で一太刀に切り捨てられしまうことになるのでしょう。 いまいちど「川」の音に耳をかたむけてみます。かわ。kawa。それは「川」であるだけではなく「皮」や「側」にもなります。それはものごとの境界です。「うち」に対するもうひとつの「うち」としての「そと」ではない。「うち」と「そと」とを繋ぎながら隔てるあわい。それが「かわ」です。「かわ」はひとをひとつの内側に閉ざしますが、それでいてとても遠くへ運んでくれる。かわにはかわの自由があるのです。 ひとりでいることがわたしを助けてくれる、とあなたは言います。わたしはいまわたしなりにその意味を理解しようとして、目の前を流れてゆく川に耳をすましています。わたしにはまだ名前が、ありません。いまはそれがここちいい。もうすっかり夜になってしまいました。

17 Sep 2024 · y. nonami

山上徹也と神の子どもたちはみな

〒534ー8585 大阪府大阪市都島区友淵町1-2-5 大阪拘置所気付 山上徹也様 前略 安倍晋三元首相が血まつりにあげられるという事件が二〇二二年七月八日におきた。中国語圏では「名銃安倍切」とも呼ばれた手製の散弾銃の引き金をひいたのは、当時まだ四一歳無職のあなただった。犯行時の残金は約二十万円。百万円におよぶ借金をかかえていたとのこと。統一教会という宗教団体へのうらみがあり、祖父の代から教団との縁があったことから被害者をねらうことにしたらしい。 事件の日の未明、天の川のしたたるような光におもわずみとれていたことを覚えている。ぼくはそのとき、日本から遠く離れたところで細々とくらしていた。事件をうけてからは日本にもどり、こうしていまあなたへの手紙の草稿をかいては反故にしている。 日本ではもう、素性をかくす必要がなくなっていた。そのことをいまもふしぎにおもう。宗教二世というべんりなレッテルが使われるようになったので、カミングアウトしたいときには、ひとことそう名乗るだけでいい。それでも伝わらないときは、いま大阪で拘置されているあなたの名をひきあいに出せばだいたい納得してくれる。そうして被害者をよそおえば、いくぶんの同情を買うことも、これまで抱えつづけてきた後ろめたさを棚あげしておくこともできる。 ただ、同じ宗教二世といっても、ほんとうは自分とあなたが正反対の立場にもあるということを伝えるのは、むずかしい。 事件の直後には、ぼくはずっと自分の手のひらをみつめていた。この自分こそが銃の引き金をひいたような気がしてならなかったし、体中がふるえるなかでこの自分がいったいだれなのかがよくわからず、ひどく混乱していた。しかし、同時に、凶弾にたおれたの男もまた、ほかでもないこの自分自身だったような、気がする。逃ゲキレルトデモオモッタカ、と嗤う声がして、ふりかえったときには名銃安倍切を突きつけられていた。老体に鞭うつようにして演台にたった自分が拳をふりあげたまま目を見開いている。 いきなりこのような怪文書を送りつけられてきて、きっとあなたは当惑しているにちがいない。あるいは、うんざりしているかもしれない。けれど、どうかいましばらくあなたの耳をかしてほしい。ぼくはこれからあなたにほんとうの素性をうちあける必要がある。 ぼくたちには、共通の父親がいる。ぼくたちは、兄弟なのだから。しかし、ぼくはいま「神の子」として、あなたの耳に語りかけている。きもちとしては、あるかないかのかぼそい声で、ささやきかけているつもりでいる。あなたはまだ生きている。生きているあなたの耳の奥にはたぶん、闇がひろがっている。その闇が死者たちの国につながっているとしたらどうだろう。言葉をみちびきの糸とながらあなたの耳のなかの闇におりていくことはできるだろうか。 神の子どもたち。あなたもむかしからよく知っている連中だ。あなたの目には虫唾の走るようなふざけた存在、自分の意思をもたない虫けら同然の存在にうつっていたのかもしれない。あなたがぼくたちのことをいまいましく思うきもちをすこしはわかるような気がする。教団の教えにてらしてみるだけでも、むりからぬことだ。 教団が絶対的なカースト制をしいているということに、もちろんあなたははやくから気づいていた。あなたはその最下層での生をしいられつづけてきたのだから。神の子どもたちとは生きる世界がちがう。はっきりいって、あなたの血は穢れている。存在そのものが、不潔でしかない。サタンの子、罪の子であるあなたが神の子どもたちと交わること、神の万世一系の血筋を穢すことはゆるされない。だから、あなたは自分の名前にこめられた願いのとおり、神の子の僕に徹していさえすればよかったはずなのだった。 あなたとしては、こういうふざけた教義にいちどならず中指を突きたてたくなったことだろう。あなたはそれを真顔で信じている連中のことを、くるっている、とおもったはずだ。しかし、あなたがそのような印象をいだいてしまうのは、あなたにとっての教団はあくまでも外からやってきた異物だったからではないだろうか。 あなたの父親が命をたったのは、あなたがまだ幼いとき、母親があなたの妹をみごもっていたときのことだという。教団はきっと、その間隙をつくようにして山上家にはいりこんできたのだろう。あるときふと「真の父」の御写真が額入りでかざられるようになる。それが第一の兆候だったとしよう。はじめは、ごくさりげない感じの兆候。しかしそれはやがて大理石の壺や神殿、弥勒像といったものを招きよせるような重力の中心へと変貌してゆく。そうしてあなたの家は徐々に内側からむしばまれていった。ある種の性感染症にでもかかったみたいに。気づいたときには、それまでの山上家は「偽りの家」だったということにされていた。 ダカラ山上家ノ男タチハスグニクタバル、という愚弄の声もきこえてくる。父につづいて、あなたの兄が自殺をした。あなたもそれにつづきたかった。ところが、紆余曲折の末、持ちまえの腹黒さで人生を逃げきろうとしていた政治家があなたの身がわりを引きうけることになってしまった。たまたまその男がいあわせてしまったのだった。たまたま運命の交差点にたたされてしまった。いまではその男の死に顔も何者かのあいまいな顔に変貌しているかもしれない。山上家から家出するようにして自殺した男の面影もちらつく。 あなたはきっと、家思いのこころやさしい男の子だったのだろう。責任感があった。大切にすべきもの、守るべきものがあった。だから、それをむちゃくちゃに食い散らかしていった「真の父」をゆるすことができない。それに、日本という国=家への愛着もあったのかもしれない。自衛隊にもはいった。教団関係者としての身元がわれている以上、出世の高望みはできなかったのだろうけれど。それでも、国を守りたいきもちは、あった。そんなあなたにとって、朝鮮半島からやってきたとされる教団、国を内側からむしばみつづける教団は、外来のおぞましい病原体以外のなにものでもなかったのではないだろうか。そんなふうに想像してみると、あなたを突きうごかしていたのは私怨をこえた義憤や愛国心のようにもみえてくる。そうだとしたら、あの事件はその一点において政治的であり、その意味においてはやはり、テロだったのかもしれない。 事件の余波のなかで、多くの宗教二世が声をあげるようになった。事件の特集が連日くまれて、世をにぎわせた。国外にひっそりくらしていたこのぼくはといえば、ひとつの死がこんなにもひとを勇気づけるということ、言葉が死の生き血を吸って活き活きするものだということに衝撃をうけ、しばらくはただスライム状にふるえるだけのような存在になっていた。そんななかで、決定的に見すごされつづけてきたことがひとつある。それは、統一教会の二世としては、あなたはあくまでも少数派にすぎないということだ。教団の用語では、あなたのはような立場の二世のことを「信仰二世」という。母親の手にひかれていっしょに入信した子どもたちのことだ。 母親おもいのあなたのことだから、教団の教えをなんとか信じてみようとしていた時期がきっとあったのだろう。真の御父様の御真影に毎晩何度も土下座をしては、絶対信仰、絶対愛、絶対服従を誓ったこともあったのだろう。韓国の山奥であの異様な悪魔祓いの儀式をうけたことだってあったかもしれない。しかし、もちろん、それはあくまでも信仰の問題、というか、きもちの問題にすぎない。気はもちようという。信じようとするきもちは、それがきもちである以上、棄てることができる。あなたは実際にどこかでそうしたのだろうし、その点で正しくは「元信仰二世」ということになるだろうか。それは過去におきたあやまちなのだ。 だからこそあなたは、加害者であるとともに被害者であることができる。あなたは、深刻な人権の侵害にさらされつづけてきた。人権とは人間の権利のことだから、あなたはひとりの「人の子」として、これからそのことを強く訴えてゆくことができる。宗教二世問題を人権問題の枠組みでとらえようとするものたちは多くいる。あなたはきっとこれからも人間らしいあつかいをうけながら加害者であり被害者であることにむきあってゆく。そして、それはある意味とてもあさはかなことなのだ。あなたにはどうか、そのことをかんがえてほしい。 事件をおこしたのがどうしてあなたのような「人の子」でなければならかったのか。神の子であるこのぼくにも、そのわけがすこしはわかるような気がする。なによりもあなたは、教団の二世のなかでも日陰者の立場にいて、いわれのない屈辱的な差別をうけつづけてきた。まわりの子どもたちの多くが神の子としてのかがやかしい未来を約束されればされるほど、神の子の僕の分際にすぎないあなたの不浄な血はうずいたはずだ。 物ごころのついたころから人生を踏みにじられつづけてきた。ここでかりに、徹底的に受動的な立場をしいられること、モノであることに徹することをしいられること、それによって耐えがたい心身の苦痛を受けることを「レイプ」と呼ぶことがゆるされるのなら、徹也であるあなたは、あなたの一回かぎりの人生をとおしてすさまじいレイプ被害を受けてきた、といえるだろうか。ぼくたちの共通の父親、つまりアボジは、文字どおりレイプのかぎりを尽くしてきた男だった。メシアである自分と交わり、メシアの子種を受けいれることによってのみ、血が浄化されるという。山上家から家出をするようにして死んだ男の空隙をつくようにして山上家を支配するようになったそんなアボジが、強姦に徹してきたあのアボジが、あなたにとっての真の父でありえるはずがない。 けっきょくそれが、人の子である、ということの意味なのだとおもう。そのことに対して、ぼくは神の子として、当惑する。あまりの生まれのちがいに、あなたの耳に吹きこもうとしている言葉の糸口をみうしないそうになる。 もちろん、神の子どもたちだって、人の世を生きてゆくしかない。半身半人の存在だから、生の半分だけ、あなたのありあまるくるしみにふれることもできるのだろう。なぜなら、神の子どもたちもまた、人生において﹅﹅﹅﹅﹅筆舌につくしがたいレイプ被害をうけてきたのだから。そのような意味で無数の徹也のひとりひとりなのだから。けれども、こういってよければ、神の子どもたちは、同時に、生そのものを﹅﹅﹅﹅﹅﹅レイプされてもいる。しかし、それを被害と呼ぶこと、人倫にもとる人権侵害行為としてすくいあげることはできない。なぜなら、そのとたん神の子の存在そのものが被害であり、罪であり、人倫にもとるということになる。人は、被害者にも加害者にもなる。つきつめると、それは気のもちようなのだ。人は、そのときどきにおうじて、ある属性を持ったり持たなかったりすることができる。しかし、人は、その存在自体が、被害や加害であるわけではない。人とはたぶん、そういうものなのだ。 生そのものをレイプされているということ。それはつまり、ひとつの人生がそれ自体を目的として生まれでてくるということではなくて、無限の可能性の海のなかに投げだされるということではなくて、食肉工場で行われているみたいに命が消耗品としての使命をおびて産みだされてしまうということ、だれかへの奉仕のために存在を要請されている、ということだ。教団では、そのだれかのことを、生きとし生けるものを徹底的にレイプしてゆく力のことを「真の御父様」という。 神の子は、神の愛、神への愛の証しとして、愛の結晶として、造りだされる。真の御父様が全身全霊をかけた愛をそそいでくださっている。だから、それに全身全霊をかけた愛でおこたえしなければならない。その答えが、神の子だった。人の世では、生きているという事実に対して、どうして生きているのかという問いは、かならず空回りをする。無限の可能性をいきる人の子は、その問いに答えることができないのだから。しかし、神の子には明確な生の根拠がある。それは愛だった。愛によって生まれ、愛のために生きている。実際、神の愛がさまざまなかたちの刻印となって、神の子の生に刻まれているのだった。 神の子であるということは、人の子ではないということ。このことを比喩としてうけとってほしくない。このぼくの生活にも、パパやママ、お父さんやお母さんを自称する男女の信者がいた。それにつられるかたちで、かれらのことを自分の両親だと信じていた時期もあった。けれども、それはかりそめの姿なのだった。あくまでも仮の親にすぎない。ほんとうの親は、真の御父様をおいてほかにいない。そのことを理解するのに、長い時間がかかった。パパやママと思いこんでいた男女は、じつのところ、自分の兄や姉にすぎない。ぼくたちはきょうだいとして、真の御父様の留守をまかされていたのだった。しかし、姉も教団の「公務」を理由にして家にあまり寄りつかなかったし、兄は部屋に引きこもってばかりいた。子どもたちだけでの生活には、愛が欠けていた。それでも、不在の父親の愛の証しとして、ごみの散乱しきった2Kのアパートのなかで、神の子がひとり愛のかがやきをはなっていた。 ぼくの仮親役を引きうけることになった二人の信者が雄豚と雌豚をかけあわせるようにして配偶させられたのは、埼玉県の山奥にあるメッコール工場でのことだった。真の御父様は各地から駆りだされてきた信者が床に正座してたたずむなかを歩きまわり、ひとりひとりの男女を指さしては夫婦として組みあわせていった。いわく、女性の体は「神の愛の王宮」なのだという。神に祝福された肉の器として真の父の愛をうけいれることで、そこから神の子が生まれてくる。そのようにして「祝福家庭」をきずきなさい、という。つがうときの体位まで指示され、避妊は大罪である、とも伝えられた。 教団の用語では、ぼくは「祝福二世」ということになる。信仰二世との大きなちがいのひとつは、人の家に生まれつくわけではないということだ。信仰二世のあなたには、まず山上家というものがあった。その家に土足で乗りこんで荒らしまわっていた異物がレイプ犯のアボジということになる。あなたは自分の家を奪われたと感じたかもしれない。そして、奪われたからには、それがどんなに毀損されたかたちであっても、とりもどせるはずだ。そのためにはなにより、家族そろって信仰を棄てること、母親がレイプ犯との痴情のもつれを解消することが重要だった。最終的には、気のもちようなのだった。 祝福二世である神の子はそもそも、気持ちをもたない。信仰心もない。常識的な意味での親もなければ、家もない。つまり、はじめからもっていたものを途中で奪われたわけではない。とりもどすべきものがない。では、何があるのか。なにもない。ただ、生のみ生のままで、真の御父様の愛にくるまれている。愛の証しとしての結実した肉体にくるまれている。それは、被害ではない。被害ではない以上、愛というほかない、とおもう。それが愛でないのなら、なにも持たないばかりか、なにものでもなくなってしまう。 もしかりに、真の御父様を殺す機会があなたにめぐってきていたとしたら、と想像してみる。そのとき、ぼくがあなたを殺すことであなたの凶行を阻止することができたとしたら、ぼくはどうしただろうか。迷うまでもなく、あなたの存在を徹底的に消そうとしたはずだ。存在そのものが不潔なあなたの体をどこまでも透明にしたいと天に祈りながらかんがえたはずだ。そして無事にあなたが死んだ暁には、神の子としての使命をようやくはたせたこと、身をもって愛の証しとなれたことに無上の悦びを感じていたはずだ。というのも、神の子には使命があたえられているのだから。それはあまりにも穢れきったこの世界を清めるという使命だった。 しかし、ぼくたちふたりがよく知っているように、真の御父様はすでに九二歳のときに「聖和」されていた。こういってよければ、レイプのかぎりを尽くした末に、最後まで逃げおおせてしまわれた。たぶんその一点において、ぼくはあなたともっとも深いところ、人の子と神の子という立場のちがいをこえたところで、くるしみではなく、かなしみを、いたみを分かちあうことができる。 愛をわかってほしい。ぼくがこうして神の子という化け物として存在していることをわかってほしい。ぼくは愛の結晶として産みだされてしまった。愛のおかげで、こうして息をして命のいたみをかんじることのできる肉体をもっている。だから、この愛を、こんなにもちいさな器からあふれつづけているこの愛を、御返ししてさしあげなければいけない。ぼくがここにいることを、真の御父様につたえなければならない。けれども、ぼくがこんなにも愛しているということを知らずにレイプ犯である真の御父様は逃げきってしまわれた。ぼくを愛するわが子として認知することもないまま生を終えてしまわれたこと、虫けら同然の命を平然と踏みにじっていかれたことに、言い知れない怒りを覚える。 事件によってうがたれた穴から浄とも不浄ともつかないなにかが血飛沫のようにこんこんと湧きあがるなか、ぼくはただただもうしわけないだけの存在としてふるえあがり前後不覚におちいっていた。この穢れきった世界が負うべき深刻な責任の一端を一身に引き受けることになったあなたに対してではなく、身代わりとして血まつりにあげられることになった被害者に対してでもなく、なによりそれまで疑いようもなく神の子であったはずの自分という存在に対して、神の子としてのその責務に対して、もうしわけなさで胸がはりさけそうになる。 こんなにも多くの神の子がいたはずなのに、なぜだれひとりとして真の御父様に全身全霊の愛の御返しをすることができなかったのだろう。なぜみすみすその命をとりのがしてしまったのだろう。その結果、なぜ人の子であるはずのあなた、神の世界にとっては部外者であるはずのあなたが手を汚さなければならず、人の世で裁かれることになってしまったのだろう。神の子の僕に徹すべきだったはずのあなたは、その名にこめられた願いを反転させるようにして、あるいはその本来の意味を打ちかえすようにして、憎しみを持続させ、完徹させた。 しかし、あなたはまだ終わっていない。あなたはまだ生きている。そして、あなたが終わらせようとした物語は、何事もなかったかのように生きながらえている。切っても切っても死なないスライムみたいに。あなたはいつかきっと、むなしくなるだろう。だからいまのうちに、生きたあなたの耳があるうちに、その奥の闇の死者の国にむけて言葉の釣り糸を垂らしていかなければならない。

13 Sep 2024 · y. nonami

熊野大学の思い出(2024)

家に帰るまでが遠足、という慣用句(?)がある。もともとは学校行事の締めくくりの訓示にでも使われていたのだろう。祭気分のまま下校して羽目を外してもらっては困る。気を引き締めろと。それがいまでは学校の塀を越え、物事にあたるときには事後処理もふくめ最後まで油断してはならない、といった意味あいで広く用いられるようになった。 僕はそこで、こんなふうに思う。遠足後にまっすぐ帰ってゆける場所があるなら、それでいい。しかし、もし帰るべき場所がないとしたら、どうなってしまうのだろう。あるいは、帰るべき場所をこれから自分で作ってゆかなければならないとしたら。どこが物事の終わりであるかを決めるのが、この自分ただひとりだけなのだとしたら。 これはつまるところ、物語の創作にたずさわる人たちをつねづね悩ませてきたことでもあるのかもしれない。遠足はなんとしても終わらせなければならない。しかし、いったいどんな形で? 落ちの付け方次第で全体の印象はいかようにも変わってしまう。だからこそ、遠足の始まる前から、落としどころ探しの事前工作をはじめることになるのだろう。出発地点が明確であればあるほど、着地もしやすい。かならずしも同じ場所に帰ってくるわけではないけれど、すくなくともそこが定点となり道しるべとなる。 物語の創作者たちは、遠足というものを始まりと終わりからなる枠組みのなかに封じこめるために日々苦心している。もちろん、本当の遠足には、始まりも終わりもないのかもしれない。本当は、家を出てからが遠足なのではなく、家を出る前にはもう遠足は始まっているし、家に帰ってからも遠足は続いている。それは実のところ、とても危険なことなのだ。そして、まさにそれゆえに、普段はだれもそれが遠足だとは思わずにいる。物語という人工的な枠組みを通すことではじめて、遠足は遠足として触知できる形をとり、時が流れはじめ、そこに変化が生まれる。自身の経験を文章の形、物語の形でふりかえるのも、よくあるけじめの付け方のひとつなのだろう。 ところで、表題にある熊野大学というのは、中上健次(1946-1992)という紀州出身の作家が死の二年ほど前に立ちあげた文化運動のことだ。それについてもすこしは触れておかなければならない。 熊野大学は、大学と銘打っているものの、日本で一般に考えられている大学像とはかけ離れている。古くは律令制のころにできた官僚の養成所のことを大学と呼んでいたというけれど、現在の日本においても、入学試験で選ばれた者たちの属する組織といったイメージがつきまとう。そんな「大学」の語感を、熊野大学はことごとく裏切る。むしろ遠回りをして「みんなの」という含みがある「University」というひびきを頼りに中世ヨーロッパの自治運動としての大学の歴史を紐解いてゆくと、中上の思い描いていたものが見えてくるのかもしれない。中上自身は、かつてこんなふうに構想を語っていた。 熊野大学というのは建物も持たないし、入学試験もあるわけじゃないし、卒業なんかも何もないと。つまり志だけでできている。組織っていうのは、分るように、その組織を延命するために、さまざまな仕掛けを作っている。その仕掛けを作っていることによって、どんどん人間の志みたいなものが歪められてしまう、どんどん無くなってしまう。組織のための組織とか、だんだんおかしくなってくるんだけど、そうじゃないんだという所から、組織に対する反組織というかね、反組織に対するさらなる反組織っていう、永久革命みたいなもんですよね。いまの時代に永久革命なんて言っても流行らないと思うんだけど。(中上健次電子全集12) 卒業は死ぬとき、ともいう。中上自身が早くもその第一号となったが、そのこころざしを受けつぐということなのだろうか、熊野大学はいまでも年に一度の夏季セミナーを和歌山県新宮市で開いている。補助金の都合もあるのかないのか、内容が設立者であり名誉新宮市民である中上関連のものになってしまうという嫌いはあるものの、毎年さまざまなこころざしを胸に秘めた人たちがさして中上のことを知るわけでもなく寄せ集められてくるのは確かである。 二〇二四度のセミナーは八月三日(土)の午後に開かれた。「中上健次×大江健三郎」というテーマで、浅田彰、川本直、高澤秀次が計四時間にわたって講演をする形となった。開催に先立ち、長年運営にたずさわってきた中上紀さんが熊野新聞の八月一日号に短いコラムを寄稿している。近年の開催状況について簡潔にまとめられているので、引用しておこう。 熊野大学の夏期セミナーはかつて2泊3日の合宿形式で行われたが、ある時から諸事情で1泊2日になり、やがてコロナ禍による3年間のブランクを経た22年からは合宿形式を取りやめ、名物だった宴会をなくし、各自で宿泊する形となった。1日だけの開催は昨年からだ。 古くからの参加者には合宿形式だったころの熊野大学をなつかしむ人が多い。それはもうすごかった、という。嘘とも本当ともつかない伝説的な話の宝庫になっている。コロナ明けから熊野大学に通いはじめた僕の耳にもそれがまことしやかな断片の形で届き、往時の熱気の一端にほんの一瞬触れられるような気がする。それなりに血の気の多い集まりであったようだ。中上紀さんは次のようにふりかえっている。 人が寄ればトラブルはつきものだ。昔合宿形式だった時は酔っぱらってモノを壊したりして宿に迷惑をかけるやからが時々いた。 だが、宴会後も夜通し飲み語るのは常で、部屋までたどり着けずロビーで寝る聴講生たちの姿は、セミナー3日目の朝の風物詩でもあった。このために毎年通い詰める参加者も多かったはずだ。 内部争いも含め、人が寄れば揉めごとは起こる(昨年度にも僕はそれをひどい形で目の当たりにした)。本気であればあるほど、収拾がつかなくなる。ついには流血沙汰になる。そういうトラブル込みでの、懐の大きな熊野大学。ただ、中上紀さん自身は、そんな往時の姿を単になつかしんでいるわけでもない。全文を引用しないかぎりはうまく伝わらないのだけれど、中上紀さんがコラムを通して言おうとしているのはもうすこし別のところにあるようだ。熊野大学はたしかに大きく姿を変えている。しかし、中上紀さんは、次のように締めくくる。 セミナーの形がどう変わろうと、ここが熊野である限り、熱い心の言葉には命が宿る。 これはある意味、熊野大学はどこにでもある(universalである?)ということでもあるのだろうか。つまり、表面的な遠足をしているときだけが遠足なのではなくて、その前後にも遠足はある。どこで遠足が始まりどこで終わるのかはだれにもわからない。今こうして僕がふりかえりの文章を書いているように、そこにさしあたりの終止符を打とうとするひとりひとりの意志があるなら、その数だけ終わりがあるし始まりがある。「ここが熊野である限り」というのは、中上健次の言葉を借りれば、なんらかのこころざしを持つかぎり、ということでもあるはずだ。いや、別にこころざしなどという大袈裟なものを持ちださなくてもいいのかもしれない。人が寄せ集まれば、トラブルによる流血を伴いつつ芽吹いてきてしまう言葉もあるのだろう。 僕自身は今年、熊野大学の夏季セミナーを聴講したものの、ほとんどのことは忘れてしまった。ずぼらなので、面白かったことだけはかろうじて覚えている。川本直さんの発表「中上健次をクィア・リーディングする」に関しては、時間の都合により途中で打ち切られてしまったのを残念に思った。しかし後日活字化されたものが文芸誌に掲載されることになったようだ。 やはりというか、特筆すべきことはたいてい、遠足の本筋とは関係のないところ、物事の隈くまや縁へりにあたるところで起こる。記憶力に乏しいこの僕でもいまだに覚えている事件がひとつある。この文章もその事件がなければ決して書きはじめていない。というのも、事件の当事者にとってはあまりにもとるに足らない出来事かもしれず、僕も含めていつかだれの記憶にも残らなくなる。きっと書いてしまえばあまりにどうでもいいことなのだけれど、それでも書かずにいられない。 さて、新宮市の神倉山のふもとには「えんがわ」の名で親しまれている場所がある。用水路にかかった小橋を渡った先の路地にある平屋の古民家だ。この家には、玄関がない。そのかわり、その名の通り大きな濡れ縁があり、そこから直接ガラスの格子戸を開けて勝手に上がりこめるようになっている。鍵はどこにもかかっていない。だれかが暮らしているわけでもない。普段は地元の子らのたまり場になっていることが多いようだ。ユースホステルとしても使われているらしく、ふらりとやってきた若いマレビトたちが束の間の滞在をしてゆくこともあるようだ。今年はそこが熊野大学の夏季セミナーにあわせ、聴講者も自由に使える宿泊場所として開放されることになった。 僕が友人と「えんがわ」をおとずれたのはセミナーの前日にあたる八月二日の午後のことだった。セミナーの聴講者はほかにだれもいなかった。そのかわり、小学生の子供たちがにぎやかな物音を立てているのが遠くからも聞こえてきていた。僕たち見知らぬ大人が座敷に上がりこんできたのに怖気づくでもない。好奇の目で僕たちを見上げ、だれや、という。六人の子供たちがいた。男の子が五人で、女の子は一人。女の子はちゃぶ台の上に夏休みの宿題冊子を広げながら頭を抱えていた。 あー、もう、全然わからん、と女の子はいう。わからんよお。手伝え。すると、出身は大阪だという友人のMさんが、よっしゃ、手伝ったる、とノリよく応じて、ちゃぶ台のむかいに腰をすえた。女の子は国語の読解問題に手を焼いているようだった。小学校三年生むけのもので、コロンブスの卵の逸話をテーマにしていた。文章から適当な言葉を抜き出し、解答文を穴埋めで完成させる問題。Mさんは大学で教鞭をとっている文学の専門家だった。状況としては、かなりオーバースペックなマレビトが助っ人として突然あらわれた形になるだろうか。 僕は後になってMさんの博識なこと、バスケットボールが上手いこと、ドラえもんのように押し入れのなかで寝てしまうことに驚かされることになるけれど、そのときになにより驚かされたのは、逆さからでも文字がすらすら読めてしまうということだった。Mさんは正面で顔をしかめた女の子といっしょに問題文のひとつを読んだあと、言葉巧みに答えを導き出してゆこうとする。ただ、いちいちまわりの邪魔が入って気が散り、文章が頭に入ってこないのか、女の子はすぐに匙を投げようとする。それでもどうにか穴埋めのひとつを終わらせると堪忍袋の緒が切れたように立ちあがり、ほかの子たちのもとに翔けてゆく。とにかく諦めが早かった。そうかと思えば、やがてまたふらりと戻ってきて、神妙な顔でいちおう次の問題にとりかかろうとする。しかし、とにかく集中力がもたない。 勉強が好きか嫌いかでいえば、そこまで好きではなかったのだろう。「コロンブスが立てたものは何ですか」という問いの解答欄に五文字を書き入れる必要があるというだけで、正答である「ゆでたまご」を抜き出してくるかわりに、とりあえず「コロンブス」と書き殴ってしまうようなところがあった。後に聞かされた話では、新宮市は和歌山県内でもとにかく学力が低い。市の教育委員会はそれを恥ずべきこととでも思いこんだのか、自分たちの面目を守るための学力稼ぎのため、今年の小学校の夏休みの始まりを八月一日として、七月末まで生徒を学校に通わせたということだった。 女の子はやがて夏の宿題を諦めてしまった。僕たちは僕たちで子供の邪魔にならないよう裏手の台所にさがり、熊野大学についてのたわいもない雑談をはじめた。初期の熊野大学の参加者にはその後、左翼系の社会運動にたずさわっていった人たちがいるという話、柄谷行人のニュー・アソシエーショニスト・ムーブメント(NAM)もそのひとつだという話から、なぜそれが失敗したのかという話になった。それがやがて地域通貨とテクノロジーの問題、僕が今考えているのら公務員運動のことに話が及んだとき、突然ゴムボールが投げこまれた。 おい、キャッチボール! という。女の子が痺れを切らした顔でボールを投げかえしてくるのを待っていた。Mさんはまた、よっしゃ、と声をあげた。それで、座敷でのボール遊びが始まった。いま何が重要なのかはだれの目にもあきらかだった。僕はそのときふと、中上が死の間際に「子供会」の思い出を柄谷行人に語っていたことを思い出した。自身がまだ小学生だった1950年代のことを中上は次のようにふりかえっていた。 先生たちも、それこそ初期のソビエトを作ろうみたいな動きが、教育にあった時代ですよ。新しい価値を作りだそうという熱意があった。授業が終わってから子供会というのがあって、楽しかったのです。「路地」の中だから、「路地」というのは学校へ行かない奴が多かったりするから、先生たちが一所懸命出かけてきて、勉強を見てやる。だいたい週に二回か三回ある。そうすると僕らは学校行っているけれど、行かない子供たちが来てワイワイ騒いだり、もちろん勉強してもいいんですけれど、ほとんど騒ぎですね。そのときに「路地」の話好きな人が来て、話を自分で作って話すとか、子供たちで幻燈会をするとか、勝手に芝居を作ってやるとか、いろんなことをやった。そういうことが活発にあった。そういう一番いい時期に、僕はその子供会にいたのです。[…]当時は、あのときの子供会の活動とか、教育というものが、ほんとに価値として掲げられていたんですよ。この子たちに教育を与えなくちゃいけないのだ、教育によって人間は変わりうるんだという、自覚と自信みたいなものがあった。それに対して、大人もみんな真面目に考えていた。(中上健次電子全集 21) まだこころざしを広く共有することができる時代があった。組織の論理に従うことではなく、こころざしに突き動かされることこそが大人の責任であるような時代があった。そんな時代の熱気こそが今自分がやっている熊野大学の元になっているのだと中上はいう。 その日、夕方になって新宮に到着したほかの友人らを迎えに行くために僕たちは駅にむかった。その足で飲み屋に流れこみ、熊野三山や太平洋といった地酒を味わうつもりでいた。また、城下町にある丹鶴商店街ではタンカクフライデナイトという祭が催されるということだったから、酔いに任せて市中を歩きまわるつもりでいた。そこで「えんがわ」をそっと後にして、用水路の小橋を渡った。すると、女の子の声がした。 どこへ行く、という。この私をさしおいて、という顔で、用水路のむこう側の欄干から身を乗り出すようにしてこちらを見ていた。橋を越えてくることはなかった。飲み屋さん、と答えると、女の子は眉をひそめ、首を傾げる。また会えるよ、と言うと「どこで」という。タンカクフライデナイトで。「どこ、それ?」丹鶴商店街。「どこなん?」多分、スーパーオークワの近くかな。「どこ? わからん。」うーん。城下町のほうだと思う。「城下町?」でも、まあ、とにかくそこで会おう。「でも、どこなの? わからんよ。」大丈夫、だれかに聞いたらわかるから。「わからんよお。」大丈夫、大丈夫。また会えるから。また、会おう。また。そう言って僕たちはなかば強引に歩きはじめた。しばらくしてふりかえると、まだこちらを見ていた。 いまになって、不真面目な発言をしてしまった、と思う。いったいなにが「大丈夫」だったのだろう。すくなくとも僕は、けっきょくその子と二度と会うことはなかった。だれも城下町に行かなかった。タンカクフライデナイトのことはすっかり忘れたまま飲み屋に入り浸っていた。きっと、女の子も、わざわざ城下町まで行くことはなかったはずだ。いまとなっては、本当にそのような祭があったのかどうかさえ疑わしい。しかし、もし本当にあったとしたら? そして、そこで本当に女の子が僕たちのことを待っていたとしたら。 家に帰るまでが遠足、という慣用句がある。僕たちは夜更けに酔った足でかろうじて「えんがわ」に辿り着き、そのまま昏倒するように一泊することになったが、そのときにはもう子供たちの姿も見当たらなくなっていた。子供たちはどこに帰ったのだろうか。帰るべき場所はあったのだろうか。そして、そのときぼくたちは本当にうまく帰ることができていたのだろうか。 コロンブスはといえば、まわりを巧妙に言いくるめて冒険に発つことができた。しかしその後、無事に遠足から帰ってくることができたのだったか、できなかったのだったか。その翌日になって、熊野大学の夏季セミナーがはじまったとき、僕の頭はコロンブスのことでいっぱいだった。

10 Aug 2024 · y. nonami

山上徹也さんへの手紙2

〒534ー8585 大阪府大阪市都島区友淵町1-2-5 大阪拘置所気付 山上徹也様 前略 あなたはガルシア=マルケスの『百年の孤独』を読んだことがありますか。ぼくは一度だけならあります。もうほとんどの内容を忘れてしまいましたが、なぜかある一場面のことだけは記憶に焼きついています。ホセ・アルカディオという男が寝室にこもり、自分の頭を銃で撃ち抜いた直後の場面です。血の滴りが寝室のドアの隙間から流れてきたかと思うと、そのまま居間を横切って道に出て、一切の迷いのない動きで雑多な町中を縫ってゆきます。それからある家に入りこむと、応接間の敷物を汚さないように礼儀正しく壁伝いに進んで、台所に出ます。そこで料理にとりかかろうとしていたのがホセ・アルカディオの母親でした。驚いた母親は赤い糸のように伸びた血の筋を辿りなおしてゆきます。その血は、母親のみが見ることのできるもの、他のだれの目にも見えない不可視のものだったのでした。母親はそうしてうつ伏せに倒れた息子のもとまで導かれ、銃弾によって鼓膜の食い破られた右の耳から生き血が噴きだしているところを目撃することになります。そう。血は生きているのです。 当たり前の話ですが、血は流れるものです。その源流をたどった先にはなにかしらの穴がありますが、『百年の孤独』の場合は血は耳の穴から湧き出ているのでした。耳の奥には闇が広がっています。「闇」という漢字の作りがはっきり示しているとおり、そこは音のない世界、あるいは音の閉ざされてしまった世界とでも言えるでしょうか。死者の国です。そして、死者の国に下りてゆくには、生き血の赤い糸をたどっていかなければならないのです。 いまになってふりかえれば、ぼくの胸の奥底で慄えつづけている細い芯のようなものとは、血の糸だったのかもしれません。七夕の翌日に斃れた犠牲者の血。大和西大寺駅駅前の街頭のアスファルトに染みこみ、暗い地の底へと吸いこまれていったはずの血。それがなぜか細い琴線のようなものに形を変え、ぼくの胸のうちにも慄えながら流れています。 それが問いを生みます。自分はいったい何者なのだろう。自分のこれまでの人生はいったい何だったのだろう。長年権力をほしいままにしてきたひとりの人の血祭りにあげられることになった事件の余波のなかで、そのことばかりを自問してきました。問いは揺らぎながらさまざまに形を変えます。なぜ事件の引き金を引かなければならなかったのがあなたであって、このぼくではなかったのか。その結果、法によって裁かれるのも紛れもなくあなたであって、なぜこのぼくはいまこうして許されているのか。結局のところ、ぼくとあなたには、どんな違いがあったというのだろう。そんなふうに問いを掘り下げてゆけばゆくほど、この自分の輪郭がぶれて不確かになってゆく。 あなたは、山上徹也です。ぼくが山上徹也について知っていることは、ほぼ皆無です。手始めとして、ウィキペディアの記事を読んでみたりはしました。ウィキペディアといっても日本語版では、山上徹也の名はどこにも見当たりません。何度か山上徹也の項目が立てられたこともあったようですが、そのたびに削除され、いまは作成そのものが禁じられています。それ以外の言語では、山上徹也について気兼ねなく語られていたので、そこからごくおおまかな事実関係を確認することはできました。たとえば、英・仏語版である Tetsuya Yamagami の項目には、山上徹也の生い立ちはもちろん、元所属先である海上自衛隊の最終階級まで記されていました(Leading Seaman。日本では、海士長にあたるのでしょうか)。 また、山上徹也のものとされるツイートや手紙を読みかえしたり、鈴木エイトさんの『「山上徹也」とは何者だったのか』や五野井郁夫さんと池田香代子さんの『山上徹也と日本の「失われた30年」』を手にとってもみました。文藝春秋のようなゴシップ誌の記事にもいくつか目を通しました。それらの雑多で表面的な情報の不細工なパッチワークとして、このぼくのなかにもぼんやりとした山上徹也の像ができあがっています。それはいわばあなたが引き金を引いた事件が独り歩きをした結果生み出された副産物のようなもので、ぼくがいまこうして語りかけているあなたとはあまりにかけ離れたものなのかもしれませんが。 ぼくたちは見ず知らずの他人です。常識的には、そういうことになっています。常識的には、こうして一方的な怪文書を送りつけてくる正体不明のこのぼくのことをいかがわしく思う気持ちもきっとあることでしょう。しかし、結論から言ってしまえば、ぼくはあなたの弟です。あなたはぼくの兄です。あるいは、ここでぼくたちの天一国の国語を使うことが許されるのなら、あなたはぼくの형ヒョンです。 徹也兄ヒョン。そう呼ばれることを不快に思われるかもしれませんね。このぼく自身、オレオレ詐欺かなにかのように親族を騙り、あわよくばあなたの警戒心を解こうという魂胆はありません。そうではなく、打ち消しがたい事実として、ぼくたちは兄弟だったのです。あるいはいまなお、兄弟なのです。 それはなぜでしょうか。結局のところ、ぼくたちにはたがいに統一教会の二世だからです。つまり、神様ハナニムを中心とした大きな家の屋根の下で生かされてきた、ということです。別の言い方をすれば、そのような苦境を辛うじて生き延びてきたということ、いまもまだこうして二世の苦しみの延長線上に生存しているということです。そのことを教えてくれたのは、ほかでもないあなたです。名銃安倍切によって穿たれた穴から浄とも不浄ともつかないものが噴きだしている。いまなお尽きることのないその余波の慄えのなかで、自分がいまなおこうして生きていることのふしぎが何度となくこみあげてきました。 ぼくたちは統一教会の教祖、文鮮明という真の御父様によって同じ運命を背負わされた真の兄弟です。しかし、それと同時に、ぼくたちふたりをどこまでも引き裂いてゆくものがあることもまた事実なのでしょう。いわば、織姫と彦星のように、神様の大きな意志というほかない何かによって、決定的に隔てられてもいるのです。 というのも、ぼくは、神の子です。いわゆる祝福二世です。それに対して、あなたは神の子ではない。あなたも知っている教会用語を使えば、あなたは、ヤコブです。つまり、罪の子、穢れた血を引く子。信仰二世です。あなたの兄も妹も、そうです。あなたたち三人兄弟はいわば、真の御父様の愛の目にとまることで命拾いをした捨て子たちなのです。 手元の年譜によれば、あなたの生みの父親がみずからの命を絶ったのは、あなたが四歳になった年のことです。そのときにはもう、第三子の出産が迫っていました。しかし、結局、その子が産声を上げるよりも先にマンションから飛び降り、姿を消してしまいます。さらに立て続けに、第一子が小児ガンの手術の後遺症により片目が見えなくなるということも起きます。 そんな事実の羅列を前にして、ぼくはただ、言葉を失います。ぼくたちが空想で描いて見る世界よりも、隠れた現実の方が遙かに物深い、としか言いようがない。人の想像力を支えていたはずの言葉がつゆほども役に立たなくなる。そんな状況下において、あなたの母親は統一教会に出会い、神様の呼びかけを耳にして摂理の道をゆく一兵卒となり、最終的には一億円以上に及ぶ献金を積むことになった、ということになるのでしょうか。ぼくにはなにもわかりません。 きっとそれから間もなくして、あなたの家には壺が置かれ、祭壇が立ち、ある偉大な御方のほほえむ御姿の御真影が飾られるようになったことでしょう。あなたは幼いころからその前で何度となく跪拝を重ね、何度となくあの家庭盟誓を暗唱させられることになったはずです。天一国主人、私たちの家庭は真の愛を中心として、本郷の地を求め、本然の創造理想である地上天国と天上天国を創建することをお誓い致します、という宣言からはじまる、あの長く果てしない天との約束の言葉です。そして、そのころを境に、その御方があなたのことをだれよりも深く愛してくださる真の御父様になったのです。その見返りとして、あなたのほうからも御父様アボニムをだれよりも深く愛することが求められました。ようするに、あなたの生みの父親の死の空隙をつくようにして、新しい父親がまずはプロマイド写真の形をとって家に乗りこんできたというわけです。 真の御父様はいったいなんのために山上家にやってきたのでしょうか。答えは簡単です。それは「真の家庭」を実現するためです。つまり、それまでの山上家は、偽りの罪深い家庭、失敗した家庭であったということです。だから、再出発をしなければならなかった。そうしてあなたの母親が生きなおそうとした真の家庭がどのようなものだったのか。あるいは、あなたと御父様との父子関係がどのようなものであったか。このぼくには想像だにできません。ただ、同じ真の家庭の一員として、思わずにはいられないことがひとつあります。 まだ幼かった当時のあなたにとっても、新しくやってきたその御方のことを「真の御父様」と呼ぶことには抵抗があったのではないでしょうか。すくなくとも、そこになんらかの白々しいひびきを感じとっていたことでしょう。それは単に、あなたにはもともと生みの父親がいて、その御方とは血の繋がりがないからとか、その御方がはるか遠くのイースト・ガーデンの地にお住まいで直接お目にかかることは叶わないからとかいうことではありません。そうではなく、神のまなざしにおいて、あなたはなにより、穢れた俗世の子、呪われたサタンの子であって、神の子では決してありえなかったからです。 あなたは、神様の祝福を受けながら生まれてきたわけではないのです。毎週日曜日に通った教会のなかでも、あなたが祝福二世たちの輪にとけこめるようなことはなかったはずです。あなたが合同結婚式に参加できる年頃になったとしても、祝福二世との結婚を許されることもなかったでしょう。つがいとしてあなたにあてがわれることになったのは、同様に穢れた血を引くヤコブの子であったはずです。真の御父様の真のまなざしにおいては、生まれからしてあなたは劣った存在だったのです。 まずはそのことが、あなたのやわらかな魂を屈折させることになったのでしょうか。あなたがどれほど御父様を愛そうとしたところで、あなたの思いが報われることはありません。そもそも真の御父様は、あなたが偽りの父親の飛び降り自殺後に移り住んだ奈良の町で生の苦しみに呻いていることも知らなければ、あなたのような虫けらが存在していることさえ知らないのです。 屈折した魂は、ふたつの世界を同時に視ること、行き来することができます。あなたは祝福を受けて生まれてきた神の子たちと違い、真の愛の輝きを裏付ける影の領域に身を置くこともできました。そんなあなただったからこそ、あのような挙に出ることができたのだろうか、とぼくは何度も考えたものです。この問いはすぐさまぼく自身へと矛先をむけて、では、神の子だったはずのこのぼくは、いったい何だったのだろう、何者だったのだろう、という疑念へと形を変えます。 そしてなによりもありがたさがこみあげ、慄えがとまらなくなる。ありがたい、というのはつまり、ありえない、ということです。もっとはっきり、奇蹟が起きた、と言ってもいい。不可能だったはずのものが、思ってもみない力、人知を越えた力によって、可能になった。だからこそひとは、ありがたいことに感謝をするのではないでしょうか、つまり、負い目を感じる。心の底から深く傷つく。 いや、もっと素直にこう言えば済む話なのかもしれない。ぼくはただただ、あなたに対してのもうしわけのない気持ちで、胸がいっぱいになる。そして、なぜ自分はこんなにもうしわけなさを感じているのかといえば、それはぼくがやはり、神の子だからなのです。 神の子、という言い方にあなたがつまづいてしまうのなら、表現を変えてもいい。ようするにぼくは、統一教会という物語によって生を受けた化け物なのだと言えばいいでしょうか。あなたのように人間的な性の営みによって生まれた人の子とは、断じてちがう。真の御父様の愛のおかげで、こうしていま息をしているし、痛みを感じる生身の体を持っているのです。もっとはっきり言えば、ぼくは文鮮明のコピーなのです。つまり、無数の文鮮明のうちのひとりとして、神の使命を受けて、この世に生み出されたのです。あなたもご存知のとおり、神の子の使命とは、この穢れた世界を浄化する、ということです。物語の落し子である神の子には、そういう聖なる力が備わっているものなのです。 世界を浄化するということは、当然、暴力を振るうことではない。大和西大寺駅駅前の街頭のアスファルトを血で穢すことではない。神の名のもとにであろうとなかろうと、ひとりの人の命を消し去ってしまうことが世界の浄化であっていいはずがない。 あなたはこの世界を汚した。とりかえしのつかない形で汚してしまった。そのせいでいま、生き血を吸った言葉がいつになく幸わっている。天にぶちまけられたおびただしい数の星々の輝きのように。もう時間がない。それでも、ぼくは神の名のもとに、そんな言葉たちを死の国へと送り返してゆかなければならない。だから、かぎられた時間のなかで、あなたの真の弟であるぼくが耳をいまこうして借りている。あなたの耳の奥の闇へと吹きこまれてゆく言葉の息づかいが聴こえますか。いまは亡き真の御父様の声がまだ、聴こえますか。

17 Jun 2024 · y. nonami

山上徹也さんへの手紙1

〒534ー8585 大阪府大阪市都島区友淵町1-2-5 大阪拘置所気付 山上徹也様 拝啓 盛夏の侯 七夕の日がまた近づいてまいりました。 七月八日に起きた事件の前夜に見た天の川のことをぼくはよく覚えています。いまでも目をつむり耳をすますと、耳の奥の闇のなかを光り輝く川の流れてゆく気配がするのです。 七夕は遠く隔てられた二つの星がもっとも接近する日。織姫と彦星のお話の伝わる東アジアの国々では、むかしからそう考えられてきたようですね。ぼくはその日、日本から海で隔てられた大陸のむこう側のフランスにいました。ドイツとフランスを隔てるライン川のほとりに、そのときはまだ、妻と二人暮らしをしていたのです。 七月七日は、フランスではごく平凡な日です。織姫と彦星の知名度もさして高くはないのでしょう。何が祝われるわけでもない。天の川は「Voie lactée」の名で知られていますが、その日にかぎって天を仰ぎ、ひときわ輝く二つの星、ベガとアルタイルを探しだそうとする人はいません。このぼく自身、八年前にフランスに移り住んでからというもの、季節の風情を肌で感じる力をゆっくりと失ってゆき、ついには七夕という風習があったことさえ忘れていたのでした。 ところが、事件前夜には天の川を目にする機会がたまたまあったのです。ちょうど深夜の零時にさしかかるころでした。日本ではもう日付が変わり、七月八日の朝になっていたはずです。七時間の時差があるので、午前七時ごろ。事件は十一時三一分に起きたということなので、その四時間半ほど前ということになるでしょうか。 ぼくはそのとき、ブルターニュ地方の寒村の外れにいました。妻の実家がそこにあったのです。義理の父親は、ぼくがフランスに移り住んできた年に腎臓ガンをわずらい、長く地道な治療をつづけていました。いっときは寛解してガンのことなど忘れかけたこともあったようですが、ある日突然再発するということがあり、みるみるうちに病状が悪化してしまいました。そんな義理の父親の容態が好ましくないということで、妻と電車で帰省することになりました。それが七月七日のことだったのです。 早朝の出発でした。ブルターニュではとにかく雨が降る、といいます。実際にはそこまでの降雨量でもないとぼくなどには思えるのですが、フランス人たちの間では、ブルターニュといえば雨ということになっているようなのです。その日はそんな思いこみを先取りするようにして、朝から小雨が降りしきっていました。 そういえば、と妻が何の前触れもなく話を切り出したのは、ぼくが車内でうつらうつらしかけたときのことです。 子供ができたかもしれない、と妻は言いました。自分はそこでどんなふうに応じたのだったか。妻のほうに顔をむけて、ほんとう? と間の抜けた声でも出したのかもしれません。ろくにフランス語を話せなかったこともあり、ごく自然に驚いてみせることも喜んでみせることもできなかったことだけは覚えています。 妻も妻で、さして気にとめるふうでもありませんでした。まだ確信も持てずにいたのでしょう。今度、保健所で血液検査をしてくると、なかば上の空でつぶやきます。フランスでは血液による検査が主流のようです。尿よりも早い時期に確い精度で判定ができるということでした。妊娠の話はそうこうするうちに取りとめがなくなり、そのまま歯切れ悪く終わってしまいました。 気づけば、寝入っていました。早起きした分のちょっとした穴埋めをするつもりが、深みにはまりこんでしまったようです。電車がセーヌ川を越えてパリの郊外の駅に止まったときに、ゆすり起こされました。しばらく息をしていなかった、と妻が声をひそめて言います。とても苦しそうな顔をしていた、と。ぼくには意外なことでした。苦しいどころか、電車の心地よい揺れのなかで、とてもよく眠れたような気さえしていたからです。 いまになって思えば、そのときにはもう何かが微妙に狂いはじめていたのかもしれません。その日の夜、妻の実家に泊まったぼくは床に就いてから、一睡もできなくなりました。つゆほどの眠気も沸いてこないのです。 あたりは物音ひとつしません。ほかの人はみな寝入ってしまって、まるで自分ひとりだけがこちら側の世界に取り残されてしまったみたいです。そのことが次第に気詰まりになってきます。圧迫感のある静けさでした。そこが石造りの家だったせいもあるのかもしれません。木などとちがって、石は硬く冷たい。気づけば張りつめていた耳の奥のほうから体がこわばりはじめていました。 ぼくは部屋を抜けだし、裸足のままトイレにむかいました。そのとき、窓の外が妙に明るいことに気づきました。まるでスポットライトでも注がれているように明るいのです。それに吸い寄せられるようにしてふらふらと外に出たときになってはじめて、すぐ頭上に巨大な天の川が流れていること、なによりもその日が七夕だということに突然思いあたりました。 おびただしい量の星々、小さな針の筵のような星々が、無数に輝いていました。むしろ、光を滴らせていた、と言うべきか。事件後の色眼鏡ごしには、そのひとつひとつの鋭く刺すような輝きが、激しい痛みに呻いていたとしか思えなくなります。やがておとずれるであろう破局を予感しているようにも、それまでに延々と繰りかえされてきた苦しみを反芻しているようにも見える。 天の星々はきっと、いたましさやむごたらしさといったものをつね日頃から引きずっているものなのかもしれません。しかし、だれもそれを気にとめようとしません。星々はそれだけはるか遠く日常から隔てられているのでしょう。また、だからこそ、その遠さにおいて、天に祈ることも許されているのでしょう。しかし、その七夕の日だけは、ほんの目と鼻の先まで接近していたのです。 約七メートル、というのは、あなたがその日、事件の被害者までもっとも接近できた距離です。普段は決して交わることのない二つの星の隔たりをかぎりなく縮めようとした結果、導きだされたのでしょう。しかし、あなたはさらにその隔たりを埋めるための飛び道具を用意していました。中国語圏では「名銃安倍切」とも呼ばれた小型の散弾銃です。一発で六粒の弾丸を発射できる仕組みになっていて、それが合計九発撃てる大型のものも用意されていたようですが、当日に使われたのは二発のみ撃てる小型のものです。携帯性に優れる一方、正確な射撃能力が求められます。 ぼくには、あなたがどんな気持ちで安倍切の引き金を引いたのかを知るよしもありません。ただ、ひとつ思うのは、もしぼくが引き金を引く立場にあったのなら、すくなくとも最後の引き金が引かれたあとは、天に祈るような気持ちになったのではないか、ということです。 あなたがその地点にひとりで立つに至るまでには、実にさまざまな偶然の積み重ねが必要だったことでしょう。事件後、MBS毎日放送が当日の様子を七五秒にわたって複数の視点で検証する「安倍元総理“銃撃の記憶”」という映像を公開したのですが、それを何度なく見返すたびに、銃撃の成否があまりにも多くの不確定要素に左右されていたことに驚きます。しかし、あなたは突如到来した千載一遇の機会のなかで計画を実行に移し、それが実を結びました。実を結んだ、というのは、銃口から放たれた豆粒のような弾が被害者の皮と肉を食い破って鎖骨の下の動脈を傷つけ、そこから生き血を吹き出させたということです。 事件のことを妻から知らされたのは、目が覚めてからのことです。安倍元首相の暗殺が報じられているということでした。日本の大手メディアでは「特定の団体に恨みがあり、安倍氏がこの団体とつながりがあると思い込んで犯行に及んだ」という趣旨の供述をしている、と報道されていました。「思い込んで」というのは、勝手な忖度による付け足しでしょう。報道機関の方でもこの時点ですでに自己検閲的になり、ある種の混乱に陥っていたことが伺われます。 いずれにしても、ぼくにはそんなことを考える余裕はありませんでした。ぼくはそのとき、ただただ慄えるだけの存在になっていました。ぼくの反応があまりにも薄いことに妻はすこし物足りなさを感じたようでした。しかし、ぼくはそのとき、こころの底から慄えていました。大きく震えてうろたえる、ということではありません。そうではなくて、胸のうちを辿ってゆくとかぼそい芯のようなものに行き当たり、それが微細に慄えているのです。そしていつまでもそれが収まらないのです。 さまざまな問いが渦巻いていました。いまになって思うと、それは二つの問いに集約されます。このぼくはいったい何者なのだろう。ぼくはこれまでいったい何をしてきたのだろう。 もはやその問いに答えも出ています。ぼくは父、文鮮明の子であり、神の子です。そして、ぼくはこれまで、そのことからひたすら逃げつづけてきた。だれにも教会との関係を知られたくなかった。きっと大げさだと思われるかもしれませんが、ぼくはずっと「亡命」をしているつもりでいたし、そのように人生をやり過ごすつもりでいたのです。妻にも出会い、子を授かることもわかりました。このままうまくやり過ごすことができたら。そんなぼくのささやかな願いを打ち砕いたのが、七月八日に起きた事件です。 いまぼくは日本に帰ってきて、ホームレスをしています。ある図書館のかたすみに身を寄せながら、この手紙を書いています。なぜ、手紙を書くのか。それは、あなたがまだ自殺せずに生きているからです。自殺せずに生きているということは、まだ活動をとめていない心臓があり、耳があり、自分の引き起こした事件の帰結にむきあうことができる、ということです。 フランスで習った言葉を使えば、あなたは responsible です。つまり、応答できる状態にある、ということです。ぼくはあなたからの返事を期待してこの手紙を書いているわけではありません。あなたに読まれることを期待してもいない。しかし、それでもあなたは生きているから、responsible であることには変わりない。だからぼくはこの手紙を書くことができる。そして、ぼくはこの手紙を書かなければいけない。 それはなぜでしょうか。それはぼくが父、文鮮明の子であり、神の子だからです。そのことから逃げつづけてきたことに対して、ぼく自身に対して、ぼくなりの責任を果たす必要があると思うのです。そして、責任は、あなたが引き起こした事件の余波の後で、ぼくなりに生き延びてゆくなかでしか果たされないのだろうし、生き延びるためにはやはり、言葉を紡いでゆくしかないのです。 一通目の手紙にしては、あまりにもとりとめのない怪文書になってしまいました。ここまで目を通してわかったと思いますが、ぼくが結局したいことというのは、生きたあなたの耳を借りる、ということなのでしょう。あなたの耳の奥には暗闇が広がっています。その暗闇の先には、死の国がある、とぼくは思う。ぼくはこれからあなたの耳を通して、死の国へと下りてゆきます。 なんのために? それは言葉を返すためです。かけがえのないひとりの人の命を奪った事件によって豊かになった言葉があります。それを死へと送り返さなければならない。しかしそのためには、それを聞き届ける生きた耳が必要なのです。

11 Jun 2024 · y. nonami

静かなストライキの起こし方⎯⎯のら公務員運動のための覚書

全国の若者よ、無職になろう そんな煽り文句がふと思いうかんだ。いつものようにコタツのなかでみかんを頬張りながら漫然とツイッターをながめていたときのことだった。 「オーストラリアにワーホリで来てから4年3ヶ月目。ついに2000万円貯まりました」というつぶやきがまず目にとまったのだった。 この手の話は特に円安のはじまった2021年以降、様々なところでささやかれるようになってきている気がする。たとえば、2023年の2月には「安いニッポンから海外出稼ぎへ——稼げる国を目指す若者たち」というNHKクローズアップ現代の番組が放映された。日本での安定した職を捨てた若者たちがワーキングホリデーを利用してオーストラリア、カナダ、ニュージーランドなどにわたり、農業や介護に従事しているということだった。 ちょうど同世代のネパール人やベトナム人で、そういった国に渡る切符に恵まれなかった人たちが、ハズレクジとしての日本に流れついてしまい、まさに農業や介護の現場で奴隷的な扱いを受けているのを考えてると、なんともふしぎな気持ちになる。ある意味、出稼ぎ市場のパイを(少数とはいえ)日本人の若者に奪われた結果、日本にしか来られなくなった人たちだとも言えるのかもしれない。人権意識はともに同じくらい低いので労働をさせやすいが、従順さという点ではまだ日本人のほうに分があるということなのかもしれない。 そんなことを考えながら番組を観ていたとき、経済学者の渡辺努さんが興味深い発言をした。日本人の若者の出稼ぎは「労働市場に対する、若者たちの静かなストライキ」であるのだという。アメリカやヨーロッパでは生活を守るために当然のようになされているストライキが、なぜか日本ではなされない。そのため二十年以上賃金も上がらない。そんな日本に若者が見切りをつけているのではないか、と。 渡辺努さんはそんな指摘をした上で、静かなストライキがもたらす正の効果に期待している。「日本の労働市場の労働力が足りなくなっていくので、労働市場が引き締まっていくという点では賃金が上がっていくということも起きる」という。 現状としては、労働力不足のつけをいわゆる外国人労働者が知らずしらず支払わされている。彼らには、すくなくともいまはまだ、連帯してストライキをできるような状況にない。日本国憲法によって人権が保証されているわけでもないから、国に送り返すぞ、と脅されれば、それ以上何もできなくなってしまう。ブローカーの甘言につられて日本に辿りついてしまうこのような不幸な若者たちの姿が消えたときにこそ、渡辺努さんのいうような賃上げの期待もできるかもしれない。 しかし、それと同時に、僕はこうも思うのだ。ワーキングホリデーのほかにも、もっと簡単に、しかも日本国民であればだれでも「静かなストライキ」に参加する方法がある。 生活保護である。あるいは、ナマポともいう。 ちまたでは、4000万円ほどの貯蓄があれば、いわゆるFIRE(Financial Independence, Retire Early)ができると言われている。それだけの資産があれば不労所得によって年間150万円ほどを得られる(そしてその枠内の生活をする)と仮定した場合の話である。 もちろん現実問題、だれしもがそんなFIREな夢を見られるような経済状況にあるわけではない。よほど恵まれていないかぎりは、4000万円という額を貯蓄をするのには多くの時間を要する。あくせく働いて4000万円が貯まるころには、定年を間近に控えていてもおかしくないのだろう。 それならいっそ……と僕のようなプーは考えてしまう。生活保護でFIREをすればいいのでは? 4000万円を資産運用した場合と同等の額が毎月もらえる。そしてなにより、仮にワーキングプアとされる層の人たちが一斉にいわゆるナマポ族になったとすれば、結果的にそれだけで戦後最大の静かなストライキが行われる、ということになる。もっとはっきりいえば「静かな革命」である。そして、日本国民であれば、いますぐに実行できる。 いや、いますぐ、というのは正確ではない。というのも、現状の仕組みでは、一定の資産がある者は生活保護を受給できないことになっている。そして、まさにそのことが生活保護の受給者数を著しく限定するとともに、生活保護受給者=貧乏人(さもなくば、怠け者の穀潰し)という差別意識の醸成にも一役買っているのだろう。 そのため、多くの人は、普通に働くことを選ぶことになる。毎月14万円ほどもらえる権利があるにもかかわらず、毎月搾取されながら14万円分の給料をやっとの思いで手にして、大した貯蓄もできずにいる人たちもいる。 働かなければ生きていけない、という強迫観念も根強い。そしてそういったことがすべて、搾取の構造の強化に加担している。ゼネストも革命も起こらない。自殺者数も減らない。経済がいたずらに内側から摩耗してゆくなかで、格差が広がってゆく。そのしわ寄せをだれよりも受けているのは、憲法によって守られた日本人ではなく、運悪く日本で暮らしはじめてしまった外国人である。そして僕には、そんな状況への想像力や感性がこの社会には著しく欠けているように思えてならない。 そこで、あらためて問いたい。この「日本社会」とは、いったい何なのだろう。 社会人という日本語が凝縮する闇 私たちは普段からさして意識することなく「社会人」というきわめて奇妙というほかない言葉を使っている。あるいは「社会に出る」というような表現。よくよく考えてみると、おかしな言い方である。英語などにも翻訳できない。そもそも「社会」とは何か? これは本当に英語でいうところの「society」なのだろうか。 たしかに「社会」という語は「society」という語を翻訳するために19世紀末に生みだされた。ここではさらに「会社」という言い方もまた「society」の訳として使われていたということを思いおこしてみてもいい。 というのも、まさに日本においては「社会」と「会社」という二つの異なる概念が、現代においてもあまりにも密接に重なりあうことがある。社会のために生きるということが、会社のために生きるということとしばし同一されてしまう。これは公共性を支える「公」、つまり「おおやけ=大きな家」の概念に関しても言えることなのだろうけれど、近現代の日本の知の枠組みにおいては、社会や会社というものがとかく「家」のようなものとして理解されてしまうのだ。さらには「国」でさえ「国家」として理解されている。 きっとこのような発想の枠組みのなかに置かれているものの一つが「社会人」であるのだろう。すくなくとも現代の日本においては「社会人」という一人前の存在として認められるためには、会社などに勤めていなければならないとしばしば考えられているようだ。たとえば、生活保護の受給者が社会人と呼ばれることはあまりないのではないだろうか。 しかし、ごく当たり前の話をすれば、社会というものは、本当は普段から私たちが想像する以上に、広い。会社の外にも社会はある。家のなかにも社会はある。どこにでも社会はある。そんな社会のなかでは日々さまざまな形の経済活動が行われている。だから稼ぎのある社会人でなければ社会に貢献できない、ということはない。あまりにも当たり前の話になるけれど、あらゆる人がその人なりの仕方で社会人である。そんな当たり前を「社会人」や「社会」という語の現代的な用法は覆い隠してしまっている。 ここで生活保護の話に戻れば、多くの人が生活保護を受給しない理由として、経済的な自由が制限されることのほかに、社会的な居場所がなくなることへのおそれも挙げられるのかもしれない。無職では何者でもなくなってしまう。社会的に孤立してしまう。そんな不安もよぎる。けれども、やはり、社会は思っているよりもずっと広いのではないか、と僕は思う。 生活保護を受ければ、さまざまな欠乏から自由でいられる。これは行動経済学者のダニエル・カーネマンという人が言っていることなのだけれど、金銭的、時間的な欠乏は、人を近視眼的にする。働かなければ生きていけないという強迫観念を抱えながら生きていると、それだけで生活に負荷がかかり、広い視野を持つことができなくなり、自分がはまりこんでいる穴から抜け出せなくなる。それが負のスパイラルを引き起こして悪化の一途をたどる。 いわゆるアテンション・エコノミーの全面化した現代において人は暇というものを持つことが難しくなった。「暇」という語が死後になりつつある気さえする。時間が経済的に最適化された世界はカーネマンのいう「余裕 slack」というものをどこまでも縮小させてしまう。そんななか、生活保護によっては必要以上の金銭を得ることはできないが、そのかわり「暇」を得ることができる。 その「暇」こそが本当はもっと広いはずの「社会」を発見する一助になるのではないだろうか。たとえば、時間的なゆとりができた分、地域の子供食堂で働いてみたり、移民の子供たちに日本語を教えてみたりすることができる。ある意味では、格差を拡大させつづける搾取の構造の歯車になって、終わりのない金稼ぎのゲームにあくせくするよりも、こちらのほうがずっと「社会的」であると言えるかもしれない。 ただ、生活保護を受給することで経済的な自由が制限されることは、多くの人の望むところではないだろう。また、一度生活保護を受けてしまうと、そこからなかなか抜け出しにくくなることも問題である。僕は今年の夏に現在のフランスでの仕事に区切りがつき、さしあたりは日本で路上生活者をすることになったので、そのことについて、いろいろなことを考えたり試したいと思っている。この記事はその覚書ということになります。 物騒な革命、静かな革命 万国の労働者よ、団結せよ、という有名な煽り文句がある。マルクスの『共産党宣言』(1848)によって知られるようなった言葉だ。Wikipediaによれば、初出はフローラ・トリスタンという女性フェミニストの『労働者連合』(1843)だという。気になったので、英語版に目を通してみた。しかし、それらしき煽り文句は見つからなかった。そのかわりに、エピグラフには「Workers, unite-unity gives strength」とあった。「労働者よ、団結せよ。団結は力なり」とでも訳せるだろうか。しかし、引用元が記されていない。そこでさらに仏語原文にあたってみると、問題のエピグラフのところに次の記載があった。 Ouvriers, vous êtes faibles et malheureux, parce que vous êtes divisés. - Unissez-vous. - L’UNION fait la force. (Proverbe) 労働者よ。きみたちはか弱くふしあわせである。それはたがいに分け隔てられているためだ。団結せよ。団結は力なり。(ことわざ) ことわざ、とある。まぎらわしい書き方がされているけれど、ことわざであるのは「団結は力なり」の部分だけだろう。残りの部分は、著者がシャルル・フーリエのような先人から学んだ考え方であると思われる。団結が力になるという考え方自体は、ちょうど「分断して統治せよ divide et impera」という裏返しの考え方が古代ローマからあったように、はるか昔かあったはずだ。ただ、労働者(プロレタリアート)という団結の単位が生まれたのはさまざまな革命の起こった18世紀後半ということになるのだろう。 しかし、そんな労働者という言葉も、現代の日本ではさして使われなくなってしまった。もしいま仮にマルクスが「労働者の諸君!」と路上で呼びかけたとしても、きっとだれも足をとめて耳を傾けることはない。「そこの社畜!」とか「お前、ワーキングプアだろ」というような煽り文句のほうがまだ振りむく人が多いかもしれない。しかし、そこでさらに「団結しろ」と言われても困ってしまうだけであるのは目に見えている。いまから革命を起こすから、協力しろ? 陰謀論にでもかぶれているのか? ということになる。 現代では、人を扇動することが困難になった時代なのかもしれない。すくなくとも、目に見える形での革命、つまり「物騒な革命」を夢見ることは難しい。そういうものを真面目に信じているのは、カルトの信者くらいである。米国の福音派でも統一教会でもいいけれど、彼らはいつかどこかで世界が様変わりするところを夢想している。そして結果的にはそれが保守の思想につながるというねじれ現象も起きている。 日本にも55体制というものが現在進行形である。CIAのフロント組織である自民党の独裁体制である。何世紀にも渡る植民地主義の経験から帝国が学んだことは、武力による支配はかならず反発を招くというものだった。そして、現地の人間が団結をしてゼネストを起こすだけで、支配体制は崩壊する。1945年以降に日本を統治することになる米国もそのことが[よくわかっていた](https://www.javadc.org/java/docs/1942-09-14 Memo on Policy Towards Japan by Edwin O....

19 Feb 2024 · y. nonami

Christmas Eve By Eduardo H. Galeano

毎年、クリスマスが差し迫ると、エドゥアルド・ガレアーノというジャーナリストによって語られた短い話のことを思い出す。彼がフェルナンド・シルバというニカラグア人の医師から直接聞いた話であるようだ。それが「クリスマス・イブ」という題で文章化され、英語に訳されたものが『The book of embraces』(1991)という本に収められている。現在ではInternet Archiveで閲覧可能になっている(p.72)。とても短い話なので、ここに和訳しておく。 マンガグアという町にフェルナンド・シルバという男がいた。彼は町のこどもたちのための病院を営んでいた。 あるクリスマスイブの日のことだった。彼は夜遅くまで働き詰めていた。外から爆竹の鳴るのが聞こえ、花火の夜空を照らすのが見えたときになってようやく、彼は仕事の収めどきだと思った。家に帰ってお祝いをしなければならなかった。 万事が平常であるよう、彼は最後の巡回をした。そのときのことだった。 背後から足音がした。消えいるようにやわらかい足音だった。ふりかえると、病気のこどもがひとり、あとをつけてきた。ほのぐらい灯りのなかにくっきり浮かびあがったその顔には、死相が刻まれていた。もう死から逃れられない。ゆるしを請うような目をしていた フェルナンドが歩みよると、男の子は手をさしのべて、口をひらいた。 ——だれかに知らせほしい。 声は、ささやくように口走った。 ——ぼくはここにいるんだって。だれかに知らせてほしい。 クリスマスまで残すところわずかになった。けれども、今年だけはクリスマスがやってくる気がしない。やってきたとしても、それがもはやクリスマスだという気がしない。クリスマスというのは、暗闇や寒さのなかで人のぬくもりが際立つ日である、と思う。クリスマスには、小さく寄り集まる人のぬくもりを世界そのもののぬくもりのように錯覚させるような魔力がある、はずだった。世界が闇に包まれたとしても、求めればぬくもりは与えられる。どこかに必ずぬくもりはある、と思わせるような。 しかし、今年はただ、身も蓋もないほど暗く寒い。もはや人のぬくもりが人のぬくもりではない。たしかに、人がいまこうして悲痛な形で大量死をしていることは、それ自体としてはそれほど驚くべきことではないのかもしれない。普段は見えてこないだけで、本当はこの世界にありふれていることなのだ。けれども、それが重大な国際問題として世界中の目に晒される形となり、それでいてそれをだれも止めることができないのは、いったいなぜなのだろうか。

24 Dec 2023 · y. nonami